■ [ゼミ]古典
ある民族、また、国等の様々な集団には古典があります。逆に、古典があるからこそ集団が形成することが出来ます。例えば、民族、国の場合は神話があります。また、我が国では忠臣蔵なんていうのも古典です。会社にも古典はあります。例えば松下は松下幸之助、ホンダには本田宗一郎にまつわるエピソードがあります。それらの古典はその集団の中で何が大事で、何がいけないかという基準を我々に与えてくれます。それらのことが共通しているから、社会生活が可能となります。
私は我々の研究室の古典を作るため、「実証的教育研究の技法」、「なぜ理科は難しいと言われるのか?」、「学び合う教室」、「心の教科指導」を書きました。というとかっこいいのですが、実際は、同じことを何度も何度も言うのがめんどくさくなったためというのが本音かもしれません。でも、おかげで、あれこれ言わなくても研究室内のコミュニケーションはとれるようになったように思います。
最近、「先生のメモの「確率論」のこと言いたいんでしょ」とか、「メモの「学生さんの言い訳に対して」のことを思い出しました」という会話が成立するようになりました。もしかしたら、このメモも我々の研究室の古典の一つになっているのかもしれません。
■ [ゼミ]遅刻
私が勤めていた定時制高等学校では、遅刻に対しては厳密に指導していました。私も、先輩教師から遅刻は許してはいけないと教えられました。そのままに見過ごすと、次には遅刻の回数が増えます。それを見過ごすと、欠席するようになります。次は、その欠席が増加して、最終的には退学となります。そのため、その最初の一歩である、遅刻を見逃してはいけないと先輩教師に言われました。卒研、大学院で言うと、さしづめ個人ゼミの開始時間が遅れたり、周期が長くなることが最初の兆候かもしれません。
でも個人ゼミで見せるような進歩がなければ、指導教官の研究室の敷居がとてつもなく高く感じるでしょう。しかし、指導教官として、一番困るのは顔を出さないことです。顔を出さない期間が長くなればなるほど、敷居がさらに高くなってしまいます。こうなると悪循環に陥ってします。目安としては、最低でも1週間に一度、顔を出してほしいな~。書けなければ、率直に「先生、お手上げです、助けて下さい。」と言えばいいだけです。怠けていたならば、「怠けていました、何も進歩がありません。」と言って、ペコッと頭を下げればいいだけです。それだけのことです。(ね!○○さん)