■ [ゼミ]27禁(再び)
現在、修士1年のIさんは若い先生の成長を見ています。若い先生と関わりながら、我々の考え方を理解して貰う過程を観察しています。そのIさんからのホームページに、その先生は初期段階で「私からボスの著作の数々を借り受けて読み、実践したようですがうまくいかなかったようです。」という書かれていました。著者としては気になるので、早速、問い合わせのメールをしました。その結果、その若い先生は、本に書かれていたプロトコルをなぞるようにしたそうです。なるほど、と思いました。
本にも何度も書いたように、テクニックが重要なのではなく、考え方が重要なんです。考え方が分かれば、表出するテクニックはその人によって様々であっても子どもは応えてくれます。ところが、考え方が無しで、テクニックをなぞっても子どもは応えてくれません。なぜなら、子どもはテクニックを見ているのではなく、教師の考え方を見ているんですから。つまり、子どもはそれだけのことが出来ることが分からないと駄目なんです。でも、多くの熱意ある若い教師はテクニック漬けになっているように思います。
とりあえず使える雑誌のプリントをコピーし、目を引く特別な指導法に頼り・・。私はそのようなことを全面否定するつもりはありません。私だって新規採用当初の自分が、どんなに教材づくりに追われて、アップアップしていたか分かります。先輩の教師をコピーしたこともあります。子どもがわっと喜んでくれる、面白実験本に頼ったこともあります。でも、その頃の私は、子どもを私の意のままに動く存在であると思っていましたし、教師の仕事は子どもを意のままに動かすことだと思っていました。もし、その頃の私が今の私の本を読んだら、子どもを意のままに動かすテクニックの一つとして理解していたでしょう。ところが、自分ではテクニックを脱したと思うでしょう。だって、たしかに面白実験本やプリントを使うよりは、非テクニック的ですから。
我々の研究室の本で、様々な生の事例を紹介しています。しかしそれは、我々が感激した経験を追体験して貰い、考え方を伝えたいと思うからです。本の事例を単純になぞるのは、あたかも恋人にどうやって告白したらいいか悩んだ人が「ロミオとジュリエット」を読 み、そのまんまの行動をするようなものです。馬鹿げています。本当は、本を読むことによって学べるのは、方法ではなく、彼らの経験を追体験し、そのことによって彼らの気持ち・考え方を理解することです。そして、他人様におんぶにダッコではなく、その考えの基に、自らの頭を使って行動を定めることが必要です。
幸い、Iさんが観察した先生は、その段階を脱しました。今、どのような過程で脱したかをIさんは分析しています。Iさんは、その先生にインタビューしました。Iさんのホームページには「インタビューには教師が変容していった様子のエキスが詰まっていて聞いていて胸が詰まってしまいました。きっと、とっても立派な先生になるのでしょうね!このインタビューの内容についてはまた紹介します。」と書かれています。そこで、「すご~く 期待しています。 なかなか教えてくれないので、 「は~やく!」という意味でめーるしゃちゃいました。こちらの方は、感激する用意は万端です!」とメールしました。Iさんからは、「バケツの用意をしておいてください。なんて、そんなに凄いことがあるわけではありませんのでいつもの調子で待っててくださいね!」とありました。しかし、本心は「バケツの用意をしておいてください。」だと思います。その後の部分は、レトリック(修辞学)に過ぎないと思います。すご~く、期待しています。バケツを用意して・・
■ [ゼミ]小林学研究室のゼミ
今では大学教師をやっていますが、かっては私も院生でした。院生控え室での院生同士の会話は如何なるものか、私も知っています。中には、指導教官に対する罵詈雑言も聞きました。特に、個人ゼミの後は激しかった。しかし、私及び私と同じ研究室のメンバーは、それらを冷ややかに見ていました。 表向きは同情していましたが、腹の中では「そんな先生を指導教官に選んだのはお前だろ。そんなに嫌がっているんだった、移ればいいじゃん。」と思っていました。何故そう思っていたかと言えば、指導教官の小林学先生にそのようなことは一度もありませんでした。我々にとっては、ゼミは我々が求めているものであって、強いられるものではなかったからです。
小林先生は東京の筑波大学学校教育部にお勤めです。そのため平常は東京におられます。しかし、週に1度、木曜日に筑波に来られ、そこで講義と研究指導をしていただきました。小林先生と話す時間は貴重でした。メンバーの間で奪い合いです。前日までに時間割を決めて、先生をお待ちしました。終わった後は、充実感を感じることが出来ました。このような違いが出たのは、ゼミに対しての姿勢の違いだと思われます。指導教官の悪口を言っている人の殆どは、研究に関して主体性がありません。指導教官が言うようにやっています。せめて、言われたことを自分なりに理解しようとして、指導教官と議論すればいいのに、それすらしません。結局、指導教官が何を考えて言っているのかではなく、やれと言われたことを分けも分からず、そのまんまやっています。考え方もわからずやっているのですから、言われたことをやったにもかかわらず考え方に反することをします。例えば、テレビ番組で「ココアが健康にいい」と放送したとたんに、毎日、年がら年中ココアだけを飲むような人がいます。そんなことしたら不健康なことは常識的に分かるはずなのですが、「テレビでいいと言った」と言い張るような人と同じです。当然、指導教官はそれを指摘します。指導教官の前で、「先生、前回おっしゃったことと違います」とちゃんといえば、その「考え方」を説明してもらえるはずなのですが、その意気地もない。そうすると、「先生が言ったのに!」と院生室で愚痴ることになります。一方、小林研究室のメンバーは、自分で自分の研究を考えていた。それを一生懸命に小林先生に訴えていたのが小林研究室における個人ゼミの姿でした。先生からの指導を受けるときも、鵜呑みにするのではなく理解しようとしていた。だから、上記のような齟齬がありませんでした。
振り返って、そのようなことが出来たのは、小林先生の力だと思います(正確には場の力)。ゼミは強いられるものではなく、自分が自分のために(そして、自分たちが自分たちのために)あるものだとメンバーに捉えて欲しいと願っています。そして、それが成り立っていると信じています。信じていいよね!
■ [ゼミ]シンプルな生活
大学院での生活は学部の生活とは異なります。一言で言えばシンプルなんです。
学部(特に3年生まで)は講義が山のようにあります。それをこなしているだけで、毎日の多くが決まります。つまり、人様が決めたスケジュールにそって動くことになります。ところが大学院では講義の数は限られ、多くの時間を自分の判断で決められます。もちろん、遊びほうけることも可能です。そして、そこそこの論文で修了することも可能です。でも、本当に学ぼうとしたらどうしたらいいでしょうか?
研究をしようするなら、生活をシンプルにしなければなりません。私は、朝起きて身支度をしたら、直ぐに大学に行き、とりあえず机に向かいました。そして、夜の10時、11時まで机にかじりつき、それから飲みに行き、2時ぐらいまで飲みました。そこでの話題は研究でした。それがず~と続きました。研究以外の刺激は極力避けました。というより、正確にはそれらを受け取る余裕はありませんでした。大学院の時代、テレビは殆ど見ませんでした。それまで読んでいた難しい本は読まなくなりました。だって、半日近く研究に関わる難しい文献を読んでいるんですから、難しい本を読む余裕なんてありません。このような生活をしていると、研究以外の情報が遮断されるのですから、誘惑にさらされることが無くなります。その結果、さらにシンプルな生活に浸り続けることになります。そうなると、感覚が鋭敏になるようです。例えば、幼児・児童用の絵本がとても面白く読めるようになります。大人がそれらを面白く感じないのは、過剰な刺激にさらされ感覚が鈍感になっているためだと思います。そのような生活をしていると、研究に関して、ある境地に達することが出来ます。おそらく、半年も経てば、遊びほうけているような大学教師のレベルは軽く越えることが出来ます。
もちろん、私のような生活が万人向きだとは思えません。実は、私自身も現在は、そんな生活をしているわけではありません。でも、「あれも楽しみたい。これもやりたい。」では、それぞれのことで達せられることは限られています。人生の中で、数年でも、そのような生活をすることは意味あることだと思います。もし、そんなことをしないで「あれも楽しみたい。これもやりたい。」だったら、2年間という時間と100万円の学費(その他諸々を入れるともっと凄い金額)を費やすだけの意味があるとは思えません。
その人なりに考え、その人なりにシンプルな生活をするべきだと思います。その人によって、毎日やることのレパートリーは違うと思います。でも、いずれにせよ、そのレパートリーを毎日、毎日、繰り返すことが大事です。毎日毎日、「あれも楽しみたい。これもやりたい。」では駄目です。
■ [ビックリ]フィッシング詐欺
私の所にもフィッシング詐欺が来ました。関係者各位に警鐘を鳴らすため、メモることにしました。フィッシング詐欺とは身元を偽ったメールを送りつけ、偽ったホームページにアクセスさせます。そこにはキャッシュカードの番号を入力させる項目があります。それを入力すると、その情報を使ってキャッシュカードを使いまくるという詐欺です。私の所に来たメールは以下の通りです。
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UFJ銀行ご利用のお客様へ
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(ここにホームページのアドレスがあります)
また、今回のアップデートには多数のお客様からのアクセスが予想されサーバーに負荷がかかるため、下記のミラーサイトを用意しております。上記のリンクが一時期不可能になっている場合は、
下記をご利用ください。
(ここにミラーサイトのホームページのアドレスがあります)
お客様のご協力とご理解をお願いいたします。
UFJ銀行
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そこで、記載されているアドレスにlにアクセスすると、フィッシング詐欺のホームページが現れます。フィッシング詐欺のホームページに「UFJ銀行を偽装した電子メール詐欺が発生していますのでご注意ください。」とあるのが笑えます。おそらく、フィッシング詐欺には多種多様なパターンが生じると思います。でもポイントは、キャッシュカードの番号やパスワードの入力求めるところです。一般的にキャッシュカードの番号をインターネットで求める場合は少ないのが常識です。求められたら、とりあえず疑い、電話等(もちろんそのホームページに書いてある番号では駄目です)で確かめることをお勧めします。
メールの「この手続きを怠ると今後のオンライン上での操作に支障をきたす恐れがありますので、一刻も素早いお手続きをお願いします。」という言葉にどきりとして、アクセスしました。ところがキャッシュカード番号を求めていることに、「あれ??」と思い、そこでテレビで見たフィッシング詐欺の特集を思い出した次第です。そう考えてみると、UFJには私の銀行口座がないという、とてつもなく馬鹿馬鹿しいことに気づきました。でも、「この手続きを怠ると今後のオンライン上での操作に支障をきたす恐れがありますので、一刻も素早いお手続きをお願いします。」という言葉を読んだ際は、それに気づきませんでした。詐欺に遭う人の気持ちが分かります。
皆さんへ、「インターネットでキャッシュカードの番号を求められたら、怪しい!」と思って下さいね。