■ [大事なこと]教科書
日本に住んでいると、普通、日本の教科書しか見ません。そして、世界の教科書も、同じようなものなんだろう・・と勝手に想像してしまいます。しかし、欧米の教科書は全く違います。まず、大きさはA4版強で、厚さは5、6cmを越え、全ページカラー刷りの豪華版です。さらに、付随する副読本、問題集も充実しています。当然、値段も張ります。しかし、そのような教科書は学校備品として扱われ、個人の持ち物ではありません。つまり、ある人が1年間使ったら、次の年は別の人が使うことになります。完全無償配布を基本とする日本の教科書制度は、少なくとも戦時中には意味がありましたが、現在においては足枷となっているように思います。教科書会社は、国からの予算の縛りを理由に、アイディアの実現が不可能なことを嘆いています(一部は、それに安住している部分もあるかもしれませんが)。
私の大学院の授業では、欧米での教科書の特徴は、教師の質で説明していました。つまり、特に米国の場合は、教師の社会的地位も低く、その質が低いため、教師の能力に頼れないため、教科書で全部出来るようにした、というのが説明でした。教科書会社での会議に出ますと、「教科書は詳しく書くべきではない」、「分かりやすく書くべきではない」という驚くべき意見が堂々と議論されます。つまり、教科書は教師が使う道具なんだから、教師不在で存在するような教科書は駄目だという論理です。でも、教室での学習の主体者は学習者です。もし、教師主導ではなく、学習者主導の学習が成立するならば、欧米のような教科書を我が国でも使うべきの様に思います。しかし、わざわざ全く新たに作る必要性はないように思います。現在教師が使っている、懇切丁寧な「教師用指導書」を子どもに与えればいいと思います。強いて加えるならば、自分自身の進歩が評価できる問題集と、その解答集をつければ十分だと思います。
■ [ゼミ]可視化2
本日はKさんとの個人ゼミをしました。今まで、何度も研究の進捗状況を聞いても、答えはいつも「ばっちり」でした。かえって不安になります。しかし、学習者を信じるのがわが研究室のテーゼです。じっと我慢の子でした。しかし、本日のゼミで安心しました。とても良い内容です。今まで繋がっていなかった、今年修了されたHさんの研究との繋がりも見えてきました。Hさんの指摘された「つぶやき」というのは実に大事なテーマで、色々な方向に発展できるものなのだと思いました(もしかしたら、今後、数十人の修士論文の種があるのかもしれません)。また、今まで我々の研究室でやっていた研究では、全員が一つの目標に収斂する過程を見ていたのではというKさんの指摘は新鮮でした。Kさんの研究では、最初から最後まで、子どもたちの目標は、自分の作文づくりです。その独立した目標を、メンバーが互いにサポートするという過程は、一つの発表用の模造紙を作る過程とは異質な部分を持っていると思います。実に楽しみです。
個人ゼミの最後に、「N県が誇るKさんが、これぐらいのデータをまとめるのに4週間もいらないよネ!?」と語り、にこっと笑いました。そうすると、Kさんは曖昧な笑顔・・・・・(しかし、否定はなさらなかった!)。
ということで、西川研究室の皆さん、修了生の皆さん、日本の皆さん、世界の皆さん、金星の皆さん、シリウスの皆さん、銀河系の皆さん、大マゼラン雲の皆さん、そして大宇宙の皆さん、期待してね~~。ということで、大宇宙に向かって可視化しました。
■ [親ばか]お母さんは鉄人
息子が久方ぶりの風邪をひきました。今回の風邪の症状は、咳と高熱です。38度2、3分ぐらいですと、普通に遊んでいます。ところが、38度7、8分になると、さすがにボーっとした顔になります。39度になると顔が真っ赤になり、うつろになります。こうなると親としては焦りまくり、あわててお医者様から解熱の座薬を貰います。かわいそうなのは咳をするため、熟睡できず、数時間ごとに起きてしまうことです。
当然、息子の咳をまともに浴びることになります。風邪がうつったら、看病どころではありません。でも、そんなことをいってては看病は出来ません。びくびくものです。しかし、私が一番恐れたのは、妻が風邪になることです。私が風邪になっても何とかなりますが、家内が風邪になったら、家中がめちゃめちゃです。あらためて、家内様が家の大黒柱なんだと感じます。しかし、思い起こせば、息子が生まれる前は、家内は比較的(あくまでも比較的ですが)体調を壊すことが多かったように思います。しかし、息子が生まれてからは、寝込むことは一度もありません。頑張っていることもさることながら、気が張っているのだと思います。お母さんは大変で、鉄人だと思います。有り難いと感謝しています。
■ [大事なこと]教科書
日本に住んでいると、普通、日本の教科書しか見ません。そして、世界の教科書も、同じようなものなんだろう・・と勝手に想像してしまいます。しかし、欧米の教科書は全く違います。まず、大きさはA4版強で、厚さは5、6cmを越え、全ページカラー刷りの豪華版です。さらに、付随する副読本、問題集も充実しています。当然、値段も張ります。しかし、そのような教科書は学校備品として扱われ、個人の持ち物ではありません。つまり、ある人が1年間使ったら、次の年は別の人が使うことになります。完全無償配布を基本とする日本の教科書制度は、少なくとも戦時中には意味がありましたが、現在においては足枷となっているように思います。教科書会社は、国からの予算の縛りを理由に、アイディアの実現が不可能なことを嘆いています(一部は、それに安住している部分もあるかもしれませんが)。
私の大学院の授業では、欧米での教科書の特徴は、教師の質で説明していました。つまり、特に米国の場合は、教師の社会的地位も低く、その質が低いため、教師の能力に頼れないため、教科書で全部出来るようにした、というのが説明でした。教科書会社での会議に出ますと、「教科書は詳しく書くべきではない」、「分かりやすく書くべきではない」という驚くべき意見が堂々と議論されます。つまり、教科書は教師が使う道具なんだから、教師不在で存在するような教科書は駄目だという論理です。でも、教室での学習の主体者は学習者です。もし、教師主導ではなく、学習者主導の学習が成立するならば、欧米のような教科書を我が国でも使うべきの様に思います。しかし、わざわざ全く新たに作る必要性はないように思います。現在教師が使っている、懇切丁寧な「教師用指導書」を子どもに与えればいいと思います。強いて加えるならば、自分自身の進歩が評価できる問題集と、その解答集をつければ十分だと思います。
■ [ゼミ]可視化2
本日はKさんとの個人ゼミをしました。今まで、何度も研究の進捗状況を聞いても、答えはいつも「ばっちり」でした。かえって不安になります。しかし、学習者を信じるのがわが研究室のテーゼです。じっと我慢の子でした。しかし、本日のゼミで安心しました。とても良い内容です。今まで繋がっていなかった、今年修了されたHさんの研究との繋がりも見えてきました。Hさんの指摘された「つぶやき」というのは実に大事なテーマで、色々な方向に発展できるものなのだと思いました(もしかしたら、今後、数十人の修士論文の種があるのかもしれません)。また、今まで我々の研究室でやっていた研究では、全員が一つの目標に収斂する過程を見ていたのではというKさんの指摘は新鮮でした。Kさんの研究では、最初から最後まで、子どもたちの目標は、自分の作文づくりです。その独立した目標を、メンバーが互いにサポートするという過程は、一つの発表用の模造紙を作る過程とは異質な部分を持っていると思います。実に楽しみです。
個人ゼミの最後に、「N県が誇るKさんが、これぐらいのデータをまとめるのに4週間もいらないよネ!?」と語り、にこっと笑いました。そうすると、Kさんは曖昧な笑顔・・・・・(しかし、否定はなさらなかった!)。
ということで、西川研究室の皆さん、修了生の皆さん、日本の皆さん、世界の皆さん、金星の皆さん、シリウスの皆さん、銀河系の皆さん、大マゼラン雲の皆さん、そして大宇宙の皆さん、期待してね~~。ということで、大宇宙に向かって可視化しました。