■ [怒り]君の研究は分からない
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私が20代後半から30代まで、年長の研究者から最も言われたお叱りは「君の研究は分からない」というものです。それに準じるのは、「君の研究にはフィロソフィー(哲学がない)」というものがあります。これも、正確に言えば、「君の研究のフィロソフィーが分からない」という意味ですので、先と同様です。もちろん、「はい、勉強します」ともっともらしい顔で承ります。しかし、腹の中では、「てめーみたいな勉強しない奴に、俺の研究が分かってたまるか!」と思っていました。
私も年を取ったせいか、30代以下の方に小言を言いたいように感じます。ただ私の小言は、「君の研究は分かる」ということです。学会誌の論文を見ても、学会発表を見ても、「あ~、こんなことまだやっているの?」と感じることは少なくありません。ちょっと目先や題材を変えているだけで、基本的には10年、20年前からあった問題意識を、その当時の研究手法でやっています。「そりゃ、おまえが新しさを感じられないほどバカなんだ」と言われるかもしれませんし、そうかもしれません。しかし、残念ながら、その論文・発表のタイトルを見た段階で、方法と結論が予想がついてしまいます。最後まで見ても、私が最初に予想したレベルを超える結論を引き出す人は少ないですし、実際は、私の予想よりかなり下回ったレベルです。感想は、「あ~、やっぱね。でも、この人、○○の要因に関して考慮していないな~。過去の文献をちゃんと読んでいないんだな~」と感じます。
不遜ながら、自慢話ですが言いますが、私が学会(理科教育学)に入り立ての頃は、比較研究や教育史のような教育学の古い伝統を持つ教科教育学が主流でした。その中で、全く異質な実証的な研究をやりはじめました。当時、そのようなことを盛んにやりはじめた研究者が5、6人いました。だいぶ時間がかかりましたが、自分たちの研究を学会の主流の一つに押し上げることが出来ました。本来なら、私たちが主流にした研究を、打破するのが若手の仕事のように思います。ところが、その仕事を我々自身がまだやっているんです。なんとも、情けないな~と感じます。
追伸 このメモを書き終わって、自分がジジーになり始めていることを強く感じます。