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2003-09-21

[]ダジャレ記念日 22:43 ダジャレ記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ダジャレ記念日 - 西川純のメモ ダジャレ記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日のことです。息子がニコニコしながら我々に向かって「いちごはなんこ?」と聞きます。我々がキョトンとしていると、一層、ニコニコしながら「いちこ」と言いました。もしかしたら彼にとって生涯最初の駄洒落をかましたのかもしれません。びっくり!

[]管理職に求めるもの 22:43 管理職に求めるもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理職に求めるもの - 西川純のメモ 管理職に求めるもの - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は、子ども達にとって良い教師とは何かを知りたいならば、自分にとって良い校長は何かを考えて下さい、と現職の方に言います。改めて自分管理職に求めるものは何か?を問い直してみました。その結果、おおよそ三つに集約できました。ただし、かなり異質で一般的ではないように思います。それに、その三つが本当に正しいのかさえ、ちょっと確信もてない状態です。しかし、備忘のため、現段階での考えをメモることにしました。

 私が求めるのは、同僚の間で議論が分かれたとき、その是非を決定できる基準を与えてほしいというのが第一の望みです。世の中にはAは正しいという理屈も、Aは誤っているという理屈も、それなりにもっともらしくたてることは出来ます。昔から、「理屈と膏薬はどこでも貼れる」というやつです。同僚同士で、議論した場合、議論が平行線になってしまいます。その決裁は管理職にやってもらわなければなりません。ただし、注意してほしいのは、決定ではなく、基準が必要です。つまり、管理職が「総合的に判断して○○」では困ります。「以前から述べている○○という方針に基づき、○○と判断した」というときの方針を明らかにしてほしいのです。そうでなければ、恣意的判断になる危険性があります。また、基準はシンプルなもので汎用性が無くてはいけません。というのは基準の誤解が生じては困るからです。また、複雑な基準な場合も同様です。複数の基準を、その場その場の都合で、使い分ける管理職品性を疑いたくなります。基準が曖昧な場合、やる気が起こりませんし、何から何まで管理職にお伺いを立てねば計画が立たなくなります。これは教室でも同じです。我々のよく言う、「目標の設定」にあたります。

 私が求める第二は、既存の規制を排除してほしいということです。私は、「助けてほしい」とは思うのではなく、「十分戦えるよう、身につけられた鎖を断ち切ってほしい」と願います。鎖さえ断ち切ってくれれば、助けられなくとも十分に勝てる勝算はありますし、仮に負けたとしても、それは己の責任と納得できます。

 私が求める第三は、第一の基準に基づいて正当に評価してほしい、ということです。職業ボランティアではありません。仮に本人がボランティアと誤解しても、家族にそれを強いるのは誤りです。ただし、この第三は第一と一対をなしています。第三のこれを曖昧にしている人の基準は、大抵は「愛だ、自由だ・・」のような精神論になっています。結果として、議論を決する基準や、計画を立てる基準にはなりえません。我々のよく言う「評価」にあたります。

 おそらく、第一と第三は一般の教室でも、職員室でも同じのように思います。しかし、第二の「十分に戦える」というのは、教室や職員室ではなく、プロスポーツ選手集団や大学研究室に特有の希望なのかもしれません。

[]学習臨床コースのいきさつ 22:43 学習臨床コースのいきさつ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習臨床コースのいきさつ - 西川純のメモ 学習臨床コースのいきさつ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学習臨床コースというコースは上越教育大学を代表するコースになっています。しかし、その成立過程は極めて個人的要素や偶然的な要素が関わっています。成立したからだいぶ立ち時効レベルになるので公開したいと思います。

 もともとの発端は、私と某コースの教官の議論にさかのぼります。そのころ私とT先生は某コースに所属していました。しかしながら私とT先生がやろうとした教育研究の方向は理解されず、それは「本コースの趣旨にそわない」と言われたこともあります。私としては理解してもらいたく、私と正反対の考えに立つ教授先生と議論を何度もしました。しかし、何度議論しても分かってもらえません。その教授先生が最後に言った最後通牒は、「それなら、本コースとは別のコースをたて、出るよう運動しなさい」というものでした。当時は助教授に成り立ての時期で、大学組織を変えるレベルなんて思いもつきませんでした。しかし、そのころから、「最終的にはその方法しかないのかも・・」と思い始めました。

 本学に「教科教育プロジェクト」というものが開学当初よりあります。本学の教科教育関係先生方の任意の集団で、定期的に予算を獲得し報告書を出していました。その代表世話人にT先生がなった際、その予算執行に関して相談を受けました。その時、全員一律の均等配分では意味がないから、若手数人に予算を手厚く配分し、その代わりちゃんとした成果を出すこと義務にすることを提案しました。結局、その方向でまとまったので、私と4人の教科教育の若手の先生方で、本学の大学院改革の試案を検討することになりました。方法は、各先生がそれぞれの案を持ち寄り、それをまとめたものを全国の教育委員会アンケートとして発送したものです。結局、私の方から現在は臨床的と称している現場に密着した案を出しました。これはもとも所属していたコースで実現しようと私が思っていたことです。それと、Naさんからは大学院と学部をつなげた6年コースのアイディアを出しました。この二つを元にアンケートが成立し、実施し、結果をまとめ、教科教育プロジェクトで報告をいたしました。

 そのころ全国の教員養成大学に、定員削減の嵐が吹き荒れました。結果として、幾つかの大学教育学部から「○○学部」という別名称に変わりましたし、定員を削減することとなります。当時の学長団にとって、この定員削減をいかにかいくぐるかで頭を悩ましていました。その時にポイントなのは、大学院定員を確保する方法が第一の問題となります。そんな時です。その当時、副学長だったO先生学生食堂で食べていました。O先生はもともと同じコースに所属していた気安さで、よく馬鹿話をしあいます。その馬鹿話の一つに、「大学院の定員を確保するには、6年制コースがいいよ。学部生の一部が確実に院生になってくれるんだもん」と言いました。その概念を簡単に説明しましたが、O先生ニコニコ笑っているだけでした。

 1週間ぐらいたって、O先生からお呼び出しがありました。それによると、O先生が6年制コースのことを文部省に話したところ感触がよいので、もう少し深く検討してほしいと依頼を受けました。そこで、先に教科教育プロジェクトでの報告をまとめたレポートを渡しました。そして、新コースの名称はどんなものがいいかと問われたので、「臨床」という名称を提案しました。そして6年生コースが成立するためには、現職院生学校現場に密着した研究を行い、それと学部教育リンクするアイディアを伝えました。少なくとも本学において、「臨床」が言葉に表れたのはそれが最初です。その後の本学の議論の中で「臨床とは何か?」ということが訓古学のレベルで議論される場に居合わせますが、くすぐったくてしようがありません。だって、「少なくとも、最初にそれを言った際には、あなたが云々している意味を持たせてはいませんよ」ということを考えてしまいます。

 その後、学内改革の中で、そのコースが成立する方向でまとめられました。このあたりは、私自身もビックリしました。だって、食堂馬鹿話がどんどん大きくなったんですもん。最後のコンセプトをまとめるため、後に初代コース代表になるN先生、後に副学長学長になるW先生、私、それと教科教育プロジェクトで一緒だったNa先生の4人でコンセプトのすりあわせが行われました。この段階では、私の考える臨床の考え方がほぼ満額認められていました。

 私が拘ったのは二つのことです。第一は、「臨床研究」を「中長期にわたって学びの場を観察する研究」ということは厳密にしたいということです。これは、実践的とか臨床的という言葉拡大解釈され、結局、今と変わらぬ元の木阿弥になることを恐れたからです。私の拘った第二の点は、研究室単位となり、多様な形態教育研究指導が出来ることです。そのため、必修課目を最低限にし、ゼミ単位を今まで以上に設けることを求めました。

 しかし、このことが最後の最後に崩れてしまいました。幾つかの原因がありますが、学習臨床を立ち上げる際の責任者が代わったことが一つです。それまでW先生が最終責任者としていました。ところが、W先生が人事担当の副学長になるため、教務担当のM先生担当となりました。そのM先生が教科臨床コースを立ち上げる際に、それまで議論に全く参加されない先生方が入られました。そのため、今までの議論はご破算となってしまいました。文部省にコースのカリキュラムを持っていく関係で、色々な課目を立ち上げなければなりません。私としてはカリキュラムが複雑になることに最後まで抵抗したのですが、最後は「文部省に持っていかなければならない」という理由と、「運用ゼミ展開でやれる」という説得に折れてしまいました。結果として、コース所属の教官である私(それと少なくともT先生)にも分からないカリキュラムが成立しました。このようになった最大の原因は、カリキュラムに関する根本的な考え方の違いがあるように思います。

 科学のように構造がしっかりした学問ならいざ知らず、臨床研究のような新しい学問を学ぶ際、課目の名称やシラバスより、それを語る人が重要だと思います。そして、固定的な必修科目を設けず、選択科目を中心とします。学生さん院生さんの選択に任せ、長い時間をかけた結果、一定の選択パターンが生じたら、それがカリキュラムになると私は考えています。しかし、そうお考えでない方もいらっしゃます。そして、そのようなお考えの方の方が大学では多いのかもしれません。

 もう一つの最後の最後に崩れてしまったことは、情報総合学習臨床コースに取り込まれたことです。二つとも、新たな別コースとして立ち上げることを意図し、それぞれを推進する先生が中心となって、学習臨床とは全く別個に計画をたてていました。直前までは、両者の案は認められなかったのですが、最後の最後になって急に認められ、その帳尻あわせのために学習臨床コースの中に入ることとなりました。そのため、学習臨床という名称はたててはいますが、臨床という言葉と裏腹に、文献研究のみの研究もOKのコースになってしまいました。このことは多くの院生さんにとって混乱を与えたと思います。しかし、教育方法、情報総合先生方は極めてジェントルマンの先生ばかりだったので、学習臨床コースの教室運営に関しては良かったと、今では思っています。そのため学習臨床コースは、何でもありで、かつ、ジェントルマンが集まった、ミニ上越教育大学が成立したようなコースになりました。だからこそ、以前に所属していたコースでは絶対に実現出来なかった、研究室所属、研究室異動の権利を院生さんは得ることが出来ました。研究費にしても、基本ベースは職階に関係なく均等になりました。人事の基準は明確にかつガラス張りとなることが出来ました。

 私が某先生に最後通牒を突きつけられてから6年間、教科教育プロジェクトで出した案を食堂馬鹿話で話し、4人で学習臨床コースの原案を作ってから5年間、学習臨床コースが立ち上がってから4年間たちました。その間中、ず~っと政治闘争の日々でした。振り返ってみれば、前コースにいた時を比べれば、天と地ほどの違いがあるほど教育研究環境改善があります。おかげさまで開学以来の最年少で教授になることも出来ました。おそらく、第三者から見れば恵まれているように見えると思います。しかし、私はまだまだ不満です。そして、まだまだ政治闘争の日々は続きます。疲れる~。

追伸 もちろん上記は私から見える見え方で、別の見方から見れば、全く違うように見えることは十分に了解出来ます。したがって、上記は、私というめがねを通したゆがんだ像であることを認めます。