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2004-02-24

[]同じ言葉 16:57 同じ言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同じ言葉 - 西川純のメモ 同じ言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日と今日、Yzさんと話しました。その事をメモろうと思います。ただし、このメモは禅問答のようで分かりづらいと思います。でも、書きます。

 私が我々の研究室の成果について講演した後の典型的な反応は、「分かるんですが、納得出来ない」という反応です。日本語としては、馬鹿馬鹿しい言葉ですが、その意味がよく分かります。我々が主張していることは、「教師の仕事は目標を与え、子どもたちに共有されること。簡単に言えば、 子どもたちをやる気にすることが教師の仕事。」ということです。また、「子どもたちは有能である(バカではない)」ということです。至極当然で、特段反対されることはないものです。ここまでのレベルは「分かる」のです。ところが、その主張の帰結として、やっていることが納得出来ないのだと思います。つまり、子どもは有能であり、その子どもをやる気に なっているのなら、教師はことさらゴチャゴチャ言う必要がないと我々は考えます。あるOBの実践では、1時間の教師の平均発話回数の20以下です。その多くは、一言ですから、実時間で言えば全部合わせても2分弱に過ぎません。つまり、50分の授業の48分は教師は何もしゃべっていないんです。普通の先生だったら、そんな「バカな~」と思います。そんなに子どもをほっぽていたら、「ふざけてしまう」、「とんでもない方向に進んでしまう」と考えてるでしょう。それに対して、「でも子どもはバカじゃないですよね」と確認すれば、「それはバカではないですけど、それと話が別です」と言うでしょう。つまり、我々が言っている「教師の仕事は目標を与え、子どもたちに共有されること。簡単に言えば、 子どもたちをやる気にすることが教師の仕事。」、「子どもたちは有能である(バカではない)」という言葉のレベルでは分かっても、それの意味することは納得出来ないんです。

 じゃあ、もっと詳しく法則化すればいいかといえば、それは無理だと思います。現実の教室の状況は千差万別で、それを一括りにまとめる法則は不可能のように思います。単純な法則で記述しようとすれば、ざるで水をすくうように大事なものを漏れ落としてしまいます。また、千差万別な状況に合わせて、複雑に記述することも出来ます。しかし、複雑になれば法則としての価値を失います。第一に、千差万別な状況を記述出来るとは思えません。だから、我々は考え方(かっこいい言い方で言えば、子ども観、授業観)を語ります。それは、「教師の仕事は目標を与え、子どもたちに共有されること。簡単に言えば、 子どもたちをやる気にすることが教師の仕事。」、「子どもたちは有能である(バカではない)」ということに凝縮されます。その考え方の意味するものを理解するためには、実際の実践を通して「会得」するしかありません。それは他ならない私も同様です。

 「教師の仕事は目標を与えること」ということは、2000年に出した「学び合う教室」のときから書いています。しかし、今、私が「教師の仕事は目標を与えること」を書いた場合、2000年に書いた時の「教師の仕事は目標を与えること」とは違うと思います。というのは、それ以降の歴代の院生さん、学生さんから教えて頂いた実例を通した研究によって、その意味するものの深みが違います。西川研究室に所属しようという院生さんの殆どは、我々の研究室の本は入学前(正確には受験前)に既に読んでいる方ばかりです。しかし、入学後のカルチャーショックは大きいと思います。おそらく、本のレベルでは分かったと思っていた言葉が、実は信じられない授業の姿を意味することを理解します。ところが、先輩院生はその信じられない授業を軽々と実践し、そして、「うまくいっている」ことを見せつけられることによって、納得せざるを得ません。しかし、当初は、それは希な事例、もしくは、その先輩院生だから出来ると解釈しがちです。それを乗り越えるには、実際に迷いながら自らが実践し、生の子ども姿を通して納得するしかありません。

 我々の現前にある最大の課題の一つは、その事を西川研究室に入らずとも伝える方法は何かと言うことです。それが出来たら、とても凄いことが出来ます。だから、YzさんやYdさんが悩むのは当たり前です。その二人の研究を後ろで支えるのは、我々自身を明らかにするHです。でも、信じています。そして期待しています。だって、「分かるんですが、納得出来ない」という気持ちをリアルに記憶しているのは3人ですし、そして、それを乗り越える過程をよく分かっているのも3人なんですから。つまり、自分に起こったことを、追体験させればいいんです。

追伸 3人とも「誓い」を忘れないでね。

[]M2へのエール 16:57 M2へのエール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - M2へのエール - 西川純のメモ M2へのエール - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、OBから「同じ言葉」への感想メールを頂きました。内容は、M1へのエールです。アップすることにしました。吸収し、生かしてください。

本日のメモ「同じ言葉」を拝読いたしました。以下はその感想です。

『Yzさんたちの研究は、次の新しいステップのはじまりですね。Kさん(K閣下)がそうであったように第1歩目はきついんだな、と感じました。私のように第2歩目を行く者が一番らくなのかもしれないと思いました。

さて、私はどうして信者になったのでしょう?

M1の調査を始めて、1か月くらいの時、耐えきれなくなって個人ゼミをお願いしました。

先生は「生きていてくれれば・・・」というメモを書いてくださいました。

それくらい真っ暗だったと思います。

でも、その時の「データをざーっと見てみなよ。きっと何かが見つかるから。」の言葉に支えられ、(半分は、ダメもとのやけくそだったかもしれません。) 帰宅してビデオを見てみました。

教室は教師の目で見ると耐えられない状態です。

児童があっちこっちへ立ち歩いて、教師はその間をうろうろしているだけでしたから。

でも、その中に「学び合い」と言えるものを見つけたのでした。

そしてそれは、たしか私のわりと近い場所だったと思います。

でも、ビデオの中の私は全く気付いていない様子でした。

ビデオを客観的に見つめて始めてわかるものなんだと思いました。

それによって自信を持って臨んだ現場では、「生(なま)」でも見つけることができるようになりました。

やはり、そういう機会がないと難しいのかもしれないと今は感じています。

授業者ではない第3者が、授業者の気付かない児童の活躍を伝えてやることによって授業者も気付くようになるのだと思います。きっと自己モニターも有効でしょう。』

追伸 悩んでいる時、その気持ちを分かってくれる人は貴重です。昔見た映画に、こんな一節がありました。主人公(中年)が恋愛に悩む若者に言う言葉です。

「恋やセックスを、自分が人類史上、初めて発見したと思うなよ。それで悩んだのは、おまえが最初ではないぞ。」

[]アドバイスの松竹梅 16:57 アドバイスの松竹梅 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アドバイスの松竹梅 - 西川純のメモ アドバイスの松竹梅 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 院生さんから研究の相談を受けた時、こんなことを言う時があります。

 『アドバイスには松竹梅があるよ。松は修士論文を書いてあげるよ。ただし、料金は200万から300万円ぐらいだね。高いと思うかも知れないけど、2年間の給料の総額を考えれば決して法外な値段とは思わないよ。ただし、データは自分で取ってね。竹は適切なアドバイスをすることだよ。料金によってアドバイスのレベルが違うよ。梅は、「がんばれー」と精神的なバックアップをするんだよ。これはタダだよ。』

 未だに、松を望む人はいませんし、料金を払って竹を望む人はいません。我々の考えから言えば、教師がやるべきことは「梅」だけで十分なはずです。ところが、教師の性分(おしえたがりの性分)で、無料で竹のアドバイスをしてしまうことがあります。本日も、院生さんと雑談をしながら、思わず、竹のアドバイスをしてしまいました。

 自身の修士論文の経験と、上越教育大学に赴任してからの院生さん、学生さんの指導経験を合わせれば20数年の研究経験があります。そのため、院生さん、学生さんの話を聞けば、「あ~、あのあたりでつまづいているんだな~」と見当がつきます。それに対して、たとえ話をしながら、どうやればそれを脱するかをアドバイスをすることが出来ます。その大部分は「実証的教育研究の技法」という本に書きましたが、全部書ききれるわけではありません。今日も、本に書ききれない部分を院生さんにアドバイスしました。

 ふと思いました。この種のアドバイスを出来る人は、そんなに多くはないよな。うちの研究室が、実践においても研究においても高い実績を維持しているのは、俺の、このアドバイスが出来るからだよな、と思いました。しかし、直ぐに思い直しました。おそらく、アドバイスが無くても、早晩、その院生さんは死地を脱することが出来るはずです。何故かと言えば、本人が、自分の研究を高めたいと本気で思っているからです。となると、重要なのは、自分の研究を高めたいと本気で願うことです。教師としては、そのように願わせるような場を提供することだと思います。それが、我々の考え方です。でも、「俺の、このアドバイスが出来るからだよな」と思う瞬間、ナルシスズムに浸れます。恐ろしい、でも、一生それは治らないと思います。

追伸 データ収集も私がやるという超松の場合、料金は1千万円です。だって、二年間の給料もらって、何もしないとなれば休職と同じです。2年間の給料から考えて、法外な料金ではないはずです。

追伸2 ちなみに、現在のシステムでは、学生を指導しても、院生を指導しても給料は変わりません。毎年、5人以上の指導をしている私も、20年間に一人も指導していない先生も、給料のシステムは変わりません。

[]説明した方がよい 16:57 説明した方がよい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 説明した方がよい - 西川純のメモ 説明した方がよい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 食事の後、歯磨きをします。その後、息子を膝の間に寝させ、仕上げ磨きをするのは私の仕事です。ごしごししますが、しばらくすると、歯を磨く私の手を息子が払おうとします。無理に磨こうとすると、一生懸命払おうとします。その際、一度、歯を磨くのを中止します。そして、歯を磨くことは大事であることを、30秒程度、ちゃんと説明します。そうすると、息子は払おうとする気持ちを我慢して、手をぎゅっと握っています。無理にやるより、ずっと効率がいいです。

 ふと思いました。このことって、我々が主張してることと同じだと気づきました。何も説明せずに、「これこれをしなさい」と言うより、何のために必要かを説明することが重要だということです。おそらく、私が歯磨きに関して気づいたことを、子育てにおいて気づけた教師は少なくないと思います。でも、それを自身 の教室に適用した人ってどれだけいるんでしょうか? 3歳の息子が出来るんですから、小学生・中学生が出来ないわけありませんよね。

追伸 我々の考え方から言えば、何のために必要かを説明できれば、どのようにすべきかは学習者に任せるべきです。でも、今の息子はきれいに磨ける能力はありません。だから、説明した後、私が歯を磨いています。でも、本当は息子は磨けるのかも知れません。私の中に、信じ切れない 私がいます。