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2004-07-02

[]余裕 09:02 余裕 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 余裕 - 西川純のメモ 余裕 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前のメモにも書いたように、息子の幼稚園を選ぶ時の基準は「自由保育」でした。自由保育というと難しげですが、簡単に言えば「自由に遊ばせる」ということです。逆に、「書道」、「剣道」等の習い事系、または、「年間を通して上半身裸」等の特殊な指導法をする幼稚園は絶対避けたいと思いました。それらは素人のお母さん達には好評なのですが、実際に子どもを見ている幼稚園の先生から見ると、子どもにとって良い指導ではないそうです。幼稚園の営業成績を上げるため、色々な場面で無理が生じるのを承知で、母親用の発表会の準備をするそうです。先生方も準備に時間をとられ、肝心な子どもに接する時間が奪われるそうです。

 4月から3ヶ月がたって、その選択が正しかったことを確信しました。息子が風邪で休むと、担任の先生がわざわざ、その日の教材を自宅に届けてくれます。びっくりします。息子が 幼稚園に持っていったものが見つからないと、園内を一生懸命に探してくれます。その他もろもろ、本当に恐縮してくれるほど、色々なことをやってくれます。一方、目立ったことで子どもを集めた幼稚園を選んだ親御さんからは、その幼稚園ではそのようなことが無いようです。いや、移動の際の確認を忘れ、子どもを置いてきぼりにするという、学校教育における基本的な大罪を犯していると聞きました。我々親が望んでいること、そして、何よりも子どもが望んでいることは、イベント的なものではなく、日々の普通の活動がまともに行われることではないでしょうか? また、なんと、その幼稚園では、希望者のみに対して家庭訪問をするそうです。バカな話です。家庭訪問に来てくれというような家庭には問題は無いものです。保護者会には来てくれない、また、家庭訪問をしようとすると拒否される、そんな家庭にこそ家庭訪問が必要なのではないでしょうか?

 いま、少人数指導が盛んです。でも、少人数が可能なぐらいの教員が配当されるならば、普通学級で教員の空き時間を増やす方が、子どもにとっては良いように思います。いや、少人数が不可能ならば、今のクラスを合併してでも、それを実現するべきだと思います。イベント的な少人数授業が重要なのではなく、毎日毎日の普通の授業の方が大事です。そして、その普通の授業をやっている教師が余裕が無くて、良い授業が出来ます?

[]ひろう 09:02 ひろう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ひろう - 西川純のメモ ひろう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 Hさんが修了されて1年強たちます。Hさんは色々なことを明らかにしました。目標を語ることと方法を語ること、そして、つぶやきを拾うこと。二つとも我が研究室の中心課題です。その中で、前者はその意味づけがかなり進んでいるように思いますが、後者に関してはまだまだ十分でないように思います。

 Hさんは「つぶやき」と表現しましたが、その範囲はとても広いように思います。Hさんが明らかにしたつぶやきは、本当のつぶやきです。でも、拾うことが重要なのはつぶやきだけではないように思います。例えば、多くのメンバーに対して、自分の意見を言うという場合も、拾うことは重要です。他ならない私もそうです。西川研究室の全体ゼミで、私が発言した後、シラーとなると、「あ、またやっちまった!」と思います。シラーとなる理由は様々だと思います。その中には、「なるほど」というシラーもあります。でも、それでさえも私にとっては不安であり苦痛です。私の発言の後、それを発展してくれるなら最高です。でも、そうでなくても、反対意見で盛り上がっても、案外うれしいものです。いや、私の意見を無視したものであっても、その後、意見のオーバーラップが起こるだけでも安心です。少なくとも自分の発言によって集団のオーバーラップがとぎれるよりは数段安心です。無視されたとしても、発言が盛んならば、その発言の嵐の中で再トライが出来ます。でも、発言の嵐が、自分の発言によってとぎれるならば、発言の再トライさえも出来なくなります。これはゼミにおける発言ばかりではなく、メーリング、掲示板の発言でも同じです。拾い、拾われる、いや、とぎれないということはとても大事です。それによって、安心して発言し、参加することが出来ます。すくなくとも指導教官である私でさえそう思うのです。

 Hさんは「ひろう」ということの重要性を明らかにしました。しかし、それは「つぶやき」ばかりではありません。そして、現在も謎なのは、「ひろう」こと、そして「とぎれない」ことの重要性は現象として明らかだったとしても、その意味・原因・機構はまだ明らかではないようにあります。くりかえします。良い集団は、どのようなリスポンスも「ひろう」いや「とぎれない」もののように思います。まだ、私には分かりません。でも、「目標と方法」と同じぐらいの金脈があるように、私の直感が語ります。

 研究が進めば、分かることも多くなりますが、分からぬ新たな謎が見えるようになります。ワクワク。

追伸 H(時に田中)へ。君のデータの中にもそれがあるはずだよ。