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2006-05-01

[]チャーチル 12:53 チャーチル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - チャーチル - 西川純のメモ チャーチル - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は、久しぶりにボジティブな気分です。

 英国首相チャーチルは目前の判断を誤ることは多い一方、先見性に富んでいることが知られています。このことはT先生も同じです。個々の会議の発言に誤りがあることがありますが、全体的な流れの判断が誤ったためしはありません。私の場合、学内政治に関して、その能力はありません。でも、研究の方向性に関してはかなりある方だと自負があります。私の研究生活は22歳の大学院入学以来、25年間です。その間に100のレフリー付き学術論文に関わっています。この業績は驚異的です。その業績をなさしめていたのは、協働力ですが、もう一つ、先見性があったと思います。

 みんなが大事だと思っていること、みんながやろうと思っていること、で業績を上げるのは優秀であらねばなりません。また、優秀であっても、なかなか業績を上げられるものではありません。ところが、みんなが大事だと思っていないこと、みんながやろうと思っていることでないこと、でも、大事なことで、やりたいな~、と思っていることを見いだせれば、凡庸な人間でもかなりの業績を上げることが出来ます。

 私の研究生活の転換点はいくつもありました。最初は、大学院1年の11月頃だと思います。それまでマレーシア理科教育研究テーマとしようと思っていましたが、それが行き詰まり、概念研究移行した期間です。あの頃はつらかった。天井を見つめて、「あ~、あれが大きな石で、おっこってくれれば楽になれるのに」と何度も思いました。とにかくもがきにもがいて、電気概念研究を始めました。もがいている中で、それまでの教科教育研究の方法論が稚拙で、統計的な処理を殆ど行っていないことに驚きました。少なくとも理科教育学に関して言えば、実態調査の結果統計的に本格的に記載したは私の論文だと思います。統計武器に、実態調査研究論文を稼ぎまくりました。それまで学会誌に掲載されている論文の十倍近い調査対象を得て、その結果統計的に分析しました。調査対象が多い方がいいこと、統計的に分析する方がいいことは万人認めていました。が、だれもやってなかったし、やれませんでした。それ故、雨あられと論文学会誌に掲載することが出来ました。

 でも、やがてそれがつまらなくなりました。実態調査研究は、駄目なことを明らかにすることは出来ますが、何故、駄目かを明らかにすることは出来ません。その打開策を認知心理学に見つけました。認知心理学には、直ぐにでも教科教育研究に適用できる、研究成果・方法論が野積みされていました。私は、それを使えばいいだけでした。その後は、それを武器論文を書きまくりました。

 しかし、それにも、つまらなくなりました。そんなとき、「学び合う教室」の第1章で紹介している研究に出会ったのが、次の転換点です。それがきっかけとなり、やがて個人の頭の中から、人と人との関係に着目するようになりました。そこでの転換点は、平成9年の10月~12月頃のある日にありました。恵美ちゃんの研究を検討する中で、「教えて学び合いをさせる」という考えから、「教育観が変われば、何もしなくても学び合う」ということに気づいた時です。

 今年の4月17日に転換点があったと思います。その日の夜、なかなか寝付けません。理由は、5年ぐらいのスパンで考えたとき、どのように研究を発展したらいいのかということが分からなくなったからです。不遜ながら、現在、多くの教師が悩んでいることに対して、自信を持って指針を示せるだけの研究の蓄積があると断言できます。もちろん、教育の問題は千差万別、その場その場で教師は頭を使わなければなりません。そこには万能の処方箋はありません。しかし、少なくとも、教師が頭を使うときに基本とするべきことはハッキリ分かっています。現在、まだ不十分なものは3つのテーマだけのように思います。

 第一は、目標と評価に関してです。教育が成立するか否かは、教え方ではなく、目標の設定にかかっています。そして、目標の設定は評価と一対となっています。第二は、学び合いを受け入れられない学習者がいるという一般の思いこみを打破することです。第三は、どうやって我々の研究を教師に分かってもらえるかというテーマです。おそらく、第一、第二は、最長でもあと3年で終わると思います。もちろん、その後も研究するテーマはあると思います。しかし、3年後に、今までのように心がふるえるようなテーマが残っているか疑問です。おそらく、今のM2の方、そして今年のM1の方は、第一、第二のテーマは、結局、第三のテーマに繋がることを明らかにするでしょう。十歩下がっても、それを共感されると思います。

 今でも実態調査の研究は行われています。今でも認知心理学に基づく研究は行われています。不遜ながら、それに関して最も多くの論文を書いたのは私だという自負があります。その私は、それをもう一度やりたいとは思いません。同じようなことが、おこるのではないかと予感しています。残されてるテーマは教師を変えるというテーマのみです。これは難物です。分かりたくない人を説得するのは難儀です。でも、その方法は子どもたちと同じであると、今更ながら17日に思いました。それは「一人の子どもを変えるより、クラス全員を変える方がたやすい」と同様に、「一人の教師を変えるより、学校全員の教師を変える方がたやすい」は真だと思います。

 数年前から、それを考えていました。現在院生さんの中でそれを行い始めています。今年、博士課程に入学したK閣下の場合は、もろ、それがテーマなんです。それが大事であることは分かっていました。でも、それを推進するためには、方法論の大幅な変更が必要となります。それが不安で、なんとなく先延ばしにしていました。でも、17日に、それが逃げられない必然であると覚悟しました。それが4月17日にあったことを記録するため、これをメモります。