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2011-08-17

[]論文の書き方 22:24 論文の書き方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 論文の書き方 - 西川純のメモ 論文の書き方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学研究者の業績は、レフリー付き論文(別名A論文)の数で決まります。A論文とは、第一に日本学術会議の登録されている学会の発行する学会誌に掲載されたもの。さらに、それは学会の学会誌編集委員会が指定する複数の審査委員の審査結果によって編集委員会が掲載決定した論文を指します。

 日本の教科教育研究者の中で、四十年弱の研究者生活の中で、教科教育学の分野でこのA論文を十以上書いた人は5%もいないと思います。博士課程の無い大学(つまり、圧倒的大多数の大学)の場合、このA論文を1または0の業績の人はかなりいます。ところが私は百五十以上の業績を持っています。そして、私の研究室の場合、学部生の卒業研究でもA論文を書きます。理由は簡単です。書き方を知っているからです。

 論文は家を造って売るようなものです。作り方知っていなければ、学会誌の審査委員に掲載可能判断(つまり購入)をいただけません。しかし、家を造るにしても3種類の作り方があります。一番簡単なのは、リフォームです。つまり、殆ど他人が構築したものを一部手直しするというやり方です。二番目は一戸建てです。この場合は自分で基礎工事を行い、家を建て、建具を組み込み、内装をするという一連のことを出来なければなりません。第三番目はディベロッパーです。これは家を建てると言うより、宅地として適切な土地を切り開きます。

 数多くの論文を稼ぐにはとりあえずはリフォームを主として、一戸建てを建てるという戦略が一番楽です。しかし、ある宅地に建てられる軒数は限られていますので、同業者の戦いは熾烈になります。

 その点、ディベロッパーは、その宅地が地の利を得ているならば、一発で膨大な軒数を稼ぐことが出来ます。いや、自らは最初の数軒を建てた後は、一戸建て業者に土地を開放すればいいのです。

 西川研究室にはリフォームや一戸建ての膨大なノウハウがあります。その95%は「実証的教育研究の技法」という本に書きました。我がゼミで「名著」と言われるのは、私の他の本をさしおいて、この本を指します。ゼミに所属した当初は、この本は取っつきにくいものです。しかし、実際に論文を書こうとすると、その悩むところの殆どがそこに書かれていることにゼミ生はビックリするので、最終的に「名著」を冠されるのです。そして5%は口伝です。これは隠そうという気持ちで口伝になっているのではなく、文字に出来ない、曰く言い難い部分があるのです。これがあるから、我がゼミの論文生産性が高いのです。

 が、ディベロッパーの部分は口伝のみで成り立っていますし、結局のところ、その当人の感性によるものなので、基本的に教えると言うことが出来ない部分です。

 私は生涯に3つの宅地を開発しました。第一は、修士論文の時です。それを一言で言えば「データで教育を語ろう」ということです。それまで数値的データで議論されることがほとんど無く、あっても小学生の自由研究レベルの分析であったのを、統計学の手法によって論証しようとするものです。今ではごく当たり前ですが、理科教育学で最も初期にそれをやったのは私だと自負しています。第二は、三十代から四十代前半の時です。一言で言えば「頭の仕組み基づいて教育を語ろう」ということです。教科教育学に認知心理学の知見を導入しようとしたものです。当時の理科教育学の若手・中堅の十人弱でやったものです。そして第三が『学び合い』です。

 私としては、このディベロッパーレベルの教科教育学研究の誕生が見てみたいと願います。不遜ながら、もうリフォームや一戸建てレベルの研究を読む気はしません。だから、クラスレベルの『学び合い』には興味は殆どありません。今は学校、地域、県レベルの研究の方にシフトし、そのレベルから教室レベルの改善を実現したいと思っています。あと5年は最前線で戦えるでしょう。そして、気持ちとしては退職の最後の年まで最前線で戦いたい。が、それを脅かす若手がいつ出るか、怖いような楽しいような。

追伸 個人のエゴですが。それが私の教え子や、『学び合い』の同志から生まれて欲しいと願うのです。もちろん、私は負けるつもりはありませんので。あははは

[]キャッチコピー 08:12 キャッチコピー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - キャッチコピー - 西川純のメモ キャッチコピー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』を保守派の人に認めさせる戦略を考えているのです。日本全体の保守派を説得するのは無理です。ですので、その中の一部にターゲットを絞った作戦をとろうと思います。経営学ではセグメント化と言います。そのセグメントは、隙間産業でなければなりません。そして、問題が重篤で、その解決のためには努力を惜しまない部分でなければなりません。

 私は、「児童数50人以下の小学校の全校異学年の算数、また、上記の中学校区の中学校(全校が150人以下の中学校)」が良いのではないかと考えています。

 このターゲットだったら、成績のこととかはあまり問題にならないと思います(逆に言えば、そうでない学校にターゲットを絞るのです)。『学び合い』の人間関係向上には速やかに効果がみられます。しかし、成績は時間もかかりますし、教師のセンスが問われます。その意味で適切な隙間産業だと思います。

 さて、へき地校の校長・教頭・研究主任レベルに『学び合い』を売り込む場合、以下のような書式のメッセージを作ることが有効です。(ムーアによると)

 その書式とは、

AはBで問題を抱えているC向けの、Dの学習であり、Eすることが出来ます。そして、Fとは違って、これはGが備わっています。

ここでポイントは、Fがポピュラーで、多くのへき地校の校長・教頭・研究主任レベルの人がそれを導入することに対して、ある程度の努力は惜しまないものです。自分の製品を相手に分かりやすく説明するのに、相手がよく知っている製品と対比させると分かりやすいのです。

今のところの、私の案としては、以下をざっと考えました。でも、本当に素人考えですので、知恵を下さい。

全校『学び合い』は、「固定化された人間関係」で問題を抱えている「小規模校」向けの「ソーシャルスキルトレーニング」であり、「学年を超えた多様な対人関係を体験」することができます。「従来のソーシャルスキルトレーニングや縦割り班活動」と違って「教科学習の時間をそのまま使い、定常的に実施することが出来る異学年交流授業」です。なお、マンパワー不足で手の回らない「特別支援の必要な子に対する支援」、「校内研修の充実」の問題も同時に解決することが可能です。(最後の部分はムーアは削るべきだと述べていますが、削りがたいのです)

 そして、それに対応したホールプロダクト、つまり、何も考えなくてもその通りやれば必ず出来るような資料をつくるのです。例えば、それようの『学び合い』の導入書をつくるのです。へき地校にはあまり必要のない部分は大幅にカットします。おおよそ10ページぐらいを目指します。そして、付録には上越地域で用いられている教科書に完全準拠した年間課題一覧を付けるのです。

 完全なテクニックです。でも、中には『学び合い』の可能性に気づく人がいるはずです。そこを足がかりにしようかな、と思うのです。そして、上越でプロトタイプをつくったら、へき地校の割合が多い都道府県・地域に売り込むのです。

 もちろん、「最善の方法は、多様な方法を柔軟にやりつづける」ことです。だけど、多様な方法の一つに考えています。少なくとも、今年度は意図的にへき地校にエネルギーを注ぎたいと思います。私の直感です。これはビンゴだと思います。

http://bit.ly/n9a6EU

[]容積 08:12 容積 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 容積 - 西川純のメモ 容積 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 夏休みの宿題をやっている息子が「容積ってどうやって求めるの?」と聞きました。へ?と思いつつも「縦×横×高さだよ」と教えると、「な~んだ、体積ということと同じだね」と応えました。

 考えてみれば、彼の読む教科書や通信教材は全て「体積」と表記されています。ところが息子の夏休みの問題集には「容積」と書かれていました。「あ~・・・。ユーザーチェックのない技術者のマニュアル」のような間違いをしているのだなと思いました。

[]発達 08:12 発達 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発達 - 西川純のメモ 発達 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 発達段階にあった指導、という言葉があります。おおかたの教師にとっては正しい言葉と思われています。しかし、私はそれには乗りません。

 仮に「発達段階」というものがあったとしましょう。では、小学校2年生の発達段階というのがあるでしょうか?ありません。あるのは一人一人の子どもの発達段階です。そして、2年生には4月2日から翌年の4月1日生まれの実年齢で1年のひらきのある子ども集団です。では、どの子にターゲットを絞るのでしょうか?さらに、個人個人の発達段階の多様性は子どもを知っている人だったら周知のはずです。極端な例が特別な支援の必要な子です。そうでない子の中には、それに準じた子どももいますし、中学校の子供用の本を易々と読んでいる子がいます。では、どの子の「発達段階にあった指導」をするのでしょうか?一人の教師が全ての子どもにあった、それぞれの「発達段階にあった指導」を出来るわけありません。従って、仮に「発達段階があった」としても、発達段階にあった指導は出来ないのです。

 そして実際は多くの教師が思い描いているようなピアジェ流の発達段階は無いことは1970年代以降では常識とされています。彼の発達段階は認知心理学で言う文脈依存性・領域固有性を無視した実験に基づくものです。1960年代頃はその反証実験が学術論文になりましたが、1970年代頃になると常識となったのでよほどのことがない限り学術論文とならなくなったのです。残念ながら、上記の理解が学校現場に広がっていないように思います。

追伸 ピアジェの心を総体として捉えようという考え方は現在も多くの研究に影響を与えています。