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2007-10-10

[]ソフト路線 22:25 ソフト路線 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ソフト路線 - 西川純のメモ ソフト路線 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、こんど『学び合い』トライする方とお話ししました。その話し合いの中で、「『学び合い』をやろうと思っているので、最近は、子どもたちとの対応もソフト路線に変えているんです」と言われました。それを聞いたとき、腰を抜かすほど驚きました。同時に、「『学び合い』という言葉の語感は、やさしい先生というイメージなんだろうな」とも思いました。

 『学び合い』では子どもたちに多くのことを求めます。たとえば、「クラス全員90点以上」と求めます。また、「クラス全員逆上がりが出来るように」と求めます。私だって、卒業・修了までに学術論文を書き上げることを求めます。そして、学会発表や、全国の先生方のサポートを求めます。これらが楽な課題ではないことは明白です。こんなことを求める先生が「優しい先生」でしょうか?

 奴隷に命令することは容易いことです。奴隷は反抗しません。しかし、自分の全力で課題を達成はしません。どうやって楽をするかに頭を使います。それ故、奴隷制度は効率が悪い。一人の自由民が自らの意志で課題を達成するとき、高い達成度を実現します。しかし、自由民は反抗します。『学び合い』の教師は自由民に対して、大変なことを求めます。それ故、求めることに関して十分に吟味しなければなりません。そして確信を持たねばなりません。それが無ければ、ちょっとの反抗でへなってしまいます。それに対して無神経で対応すれば、子どもたちは「奴隷」になってしまいます。相手方の主張を理解しつつ、それでも課題を達成することの意味を語らなければなりません。実際は、とても大変です。そして、小心者で、人から嫌われることを極端に恐れる私にとっては辛いものです。

 私が大学の授業で『学び合い』をしない最大の理由はそこにあります。学生さんを奴隷にしたときに発する「憎しみ」のオーラを感じないほど鈍感ではありません。さりとて、自由民の反抗に対応する気にもなりません。だから、面白くてためになる、そして「分かった気にさせる」授業をし続けています。

 ところが、年間15回の講義を聴く学生さんとは違い、ゼミ生は私の担任している子どもたちです(もちろん、四十を超えた現職院生さんも含まれます)。私に多くのことをも求め、期待している子どもたちです。それ故、最高のレベルに達するよう『学び合い』を求めます。

 私は、怒鳴ったり、叱ったりしません。中学生レベル馬鹿なことを連発して、学生さんとじゃれているおっさんです。しかし、私が気の遠くなることを当然のように要求し、生半可なことでは満足せず、最後の最後まで手をゆるめない、厳しい教師であることをゼミ生は知っています。『学び合い』における教師はみんな同じです。だって、それが、全員の子どもたちが最高レベルに達するただ一つの道であり、教師が最高の喜びを得られるただ一つの道だからです。

[]モデル 15:37 モデル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モデル - 西川純のメモ モデル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世界中宗教の中で最も広く信じられている宗教とは何でしょう。キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でもないと思います。私は数学自然科学だと思います。え!?と思われる方も多いかもしれませんが、「点は位置があるが面積はない」とか「光は波動であり、粒子である」なんてことを信じるなんて、どんな宗教の教義を信じるより、凄いことを信じていると思います。もちろん、「光は波動であり、粒子である」なんぞは信じないという人が多いでしょうが、「光は波動であり、粒子である」と言っている物理学者の言っていることは正しいだろうな~、と思っているのではないでしょうか?それはキリスト教の教義のことは分からないけど、牧師さんのいうことは正しいだろうな~、と思っている信者と同じです。

 数学自然科学という宗教がこれだけ成功した理由は、その信仰を持たない人にも、その正否を示せるからだと思います。例えば、何月何日月食が起こるということを預言でき、今日の午後に雨が降ると言うことを預言できます。また、テレビを作り、車を作ることが出来ます。「光は波動であり、粒子である」は分からなくても、そこから帰結される結果の素晴らしさは、それを「信じないもの」でも分かります。

 宗教堕落するのです。神は偉大で純粋なものであったとして、それを表すには「人」の言葉しかありません。そして、それを伝えるのは、人です。宗教がそれを広めるために教団を作れば、やがて、教団を維持すること自体が教団の第一目標になってしまう場合が多いことは歴史の示すところです。しょうがありません、神ならぬ人がやっていることです。しかし、数学自然科学という宗教は、その正否を明確に断じます。他の宗教のように、数十年・数百年かかるわけではなく、短時間で断じます。それ故、腐敗がそれほど進行しません。

 『学び合い』は考え方です。だんだん宗教に近くなります。それならば、数学自然科学のような宗教になりたいと思います。つまり、なんやかや言っても、正しいか正しくないかは、結果に表れます。ただし、その結果は、学力面だけ、生徒指導面だけ、のように一面的ではなく、トータルに同時に表れるか否かであることで判断できます。さらに、それが限りなく全員であり、1年間以上のスパンで一貫しているか否かで判断できます。

 どんな宗教には宗派は生まれます。しかし、数学自然科学は明確な基準を持つ故に、それらは強め合います。私がどんなことを言ったとしても、「学力面だけ、生徒指導面だけ、のように一面的ではなく、トータルに同時に表れるか否か」、「それが限りなく全員であり、1年間以上のスパンで一貫しているか否か」で、その正否が表れます。それは誰もが同じです。そんな風になったらいいな、とモデルしています。

 それ故、叙情的・心情的な評価ではなく、ドライで明確な評価が大事だと思います。

[]モデル15:45 モデル2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モデル2 - 西川純のメモ モデル2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もう一つモデルがあります。

 二十世紀物理学発見を二つあげるとしたら、「相対性理論」と「量子論」だと思います。しかし、二つの出自と、その後の発展には大きな違いがあると思います。前者アインシュタインが一人で考えたもので、その後の発展はあまりないように思います。ところが、量子論は色々なひとがよってたかってゴチャゴチャをいじくって、今でも発展し続けています。

 『学び合い』ももっと色々な人が情報発信して欲しい。もっと本を書いてくれる人が欲しい。と願っています。日本中の数十人の名前が、今、走馬燈のように私の頭を駆けめぐりました。