■ [ゼミ]告白
本日、卒業する学部4年の5人の送る言葉をビデオ収録しました。本来でしたら、指導教員である私が、一人一人の名前を呼びかけながら切々と語るべきものです。しかし、そうとはせずにゼミメンバーの全員で5人まとめて贈る言葉となりました。ゼミ長のOさんの大熱演により収録が終わりました。
私、一人が切々と語らずに、ゼミメンバー全員でやったのには理由があります。第一の理由は、『学び合い』のゼミだからです。が、それは本当の理由ではありません。4年生に向かって告白します。
私には変な美意識があります。それは、嬉しく泣くのは恥ずかしくないが、悲しくて泣くのは恥ずかしいというものです。そして人前で悲しくて泣くことが出来るのは肉親の死亡だけだと思います。事実、私は記憶に残る過去の範囲内で、人前で悲しくて泣いたのは父親の死亡時のみです。嬉し泣きは、人前でドンドンしている私ですが、どうしても人前で悲しくて泣くのは出来ません。
私が高校教師だったとき、教え子をベロベロとなめるように可愛がりました。実際になめることはしませんでしたが、ダッコをしたり、高いたかいをしました。突っ張りでものすごい外見をしている子たちが多かったですが、一皮むけば、かわいいかわいい子どもたちばかりです。さすがに女の子に対してはやりませんでしたが、男の生徒に関しては頬ずりして可愛がりました。今の私は、一人一人の子どもとの間には間合いをとるべきだと主張していますが、当時の私は間合い0mmでした。しかし、『学び合い』を学ぶにつれて、それを封印しました。しかし、本性は可愛くて可愛くてしょうがない。周りの同級生からは「厳しい研究室」と脅かされてであろう私のゼミを、敢えて選んでくれた子どもたちなんです。そして、すばらしい成果を上げ続けて、感動を与えてくれた子どもなんです。そんな彼らの名前をよびながら、送る言葉を語り始めたら悲しくて泣くに決まっています。事実、今、既にウルウルしてしまっている。ということで、絶対にだめです。
直接会っては絶対に言いませんが、「私は君たちを送り出すことを悲しく思います。もっと手元で君たちの成長をみたいと願っています。でも、送ります。期待しています。」。
追伸 Tはあと2年間、可愛がれる、それが救いです。
■ [大事なこと]異学年
K小学校の6年生の先生と2年生の先生がご出張でご不在です。そこで、K小学校の校長先生は『学び合い』の異学年学習にトライされました。いろいろと心配されていましたが、私の方は一貫して「大丈夫です。簡単です」と連呼しました。でも、結果は私の予想通りでした。とてもすばらしい姿をいっぱい見ることが出来ました。
同学年では他の子どもと関わり方でぎこちない子どもがいました。ところが、自分の課題はさておいて、2年生の課題の解決を手伝っていました。それを見て、この子の心の中には、こんな優しさがあったんだと感激しました。また、能力的に低い6年生のそばに、能力的に高い2年生がそっといるのを発見です。ICレコーダーで記録していないので、何が話されているのか分かりませんが、興味津々です。また、普段は同級生に聞くことの多い6年生が、2年生の前では背伸びした発言をしているのがほほえましく思いました。
決して6年生と2年生が関わっているとは言えませんが、互いに、他学年がいるということだけで良い影響を得ているようです。セオリー通りだと思いました。そして、わずかな機会を見逃さず、どん欲に『学び合い』を吸収しようとしている校長がとても頼もしく感じました。本当に、お茶目な校長先生です。