■ [う~ん]無様
変な美学です。男はうれし泣きをしても良いけど、悲しいときに泣いて良いのは親の死に目だけというのが刷り込まれています。しかし、不覚にも本日、学生さんの前で悔しくて泣いてしまいました。
本日は私にしては暇な日です。そんな日に、今度の特別支援の本が来ました。それを読みました。不思議なもので、数ヶ月も手を離れて読むと他人様の文章のようです。自分の文章ですので、非常に読みやすいし、共感しやすい。当たり前ですね。この本を書いたときの願いを強く持ちました。その本の最後に以下の文章を書きました。
『この研究を進めた方々は、膨大な音声・映像記録と格闘し、本書で紹介する結果を得た。その姿は、寝食を忘れるほどである。しかし、筆者は常にニコニコして、ゼミのメンバーをからかっているだけで、そうせよと命じたことはない。ただ、行うのは耳元にささやくのみである。
本書で紹介した研究を行った院生さん達がICレコーダーに記録された膨大な子ども達のつぶやきと格闘している時、ニコニコと筆者は近づく。そして、彼らの耳元に『今、あなたがやっていることの意味は分かっていますよね。「○○先生(院生さんの名前)~、助けて~、助けて~」という声が聞こえるはずです。今頑張れば、その中の数人の子どもを救うことが出来るかもしれない。数人でも救えたら素晴らしいことですよね。救えなかったら恐ろしいことですよね。』と小さく語る。その時の筆者は、口元はニコニコしているが、目は真剣にその方を見つめている。それを数週間に1回ぐらい繰り返すだけである。
あなたの耳元に『あなたがこれからやるべきことは分かっていますよね。「○○先生(あなたの名前)~、助けて~、助けて~」という声が聞こえるはずです。今頑張れば、その中の数人の子どもを救うことが出来るかもしれない。数人でも救えたら素晴らしいことですよね。救えなかったら恐ろしいことですよね。』と筆者は語りたい。「気になる子」が気にならなくなる魔法の言葉は「みんな」である。
我々は同志を求めています。』
私がお茶室で、上記を読んだとき、私には「助けて~、助けて~」という声がハッキリと聞こえました。そして、何をすべきかも分かっています。が、そのすべきことに対して私の能力はあまりにも低すぎる。それを考えて落ち込みました。そんなときです。Yがお茶室に来ました。何気なく本のことを聞いたので、軽く応えようと思った瞬間、ドーっと涙があふれてしましました。
年のせいか、学部学生さんや学卒院生さんが「本当」に可愛い。その可愛いYに話しかけられたので、「Yにちゃんと『学び合い』の考え方を伝えねばならない。俺の力で十分に伝えられるだろうか???いや、Yは分かっている。しかし、Yが勤める学校で、Yが実践で苦労するのではないか?」と考えました。そして、「Y一人を安心して実践の場に出せない、俺って、本当に力がない。苦しんでいる子どもたちに俺は何が出来るだろうか?」と情けなくなり、「Yに俺の出来ないことを頼みたい」と思った瞬間、ドーっと涙があふれてしまいました。Yにとっては、いい迷惑です。すみません。
これで終われば、自己憐憫であり、マスターベーションでしかありません。それは、私が高校教師だった時と同じです。この涙を悔し涙にするポイントは、「だから私は悪くない」で終わらせるのではなく、問題を解決しなければなりません。でも、私は力がない。どうしたらいいか。
「私」は同志を求めています。願うだけです。
追伸 今までの本の場合は、「どうだ!」と世に問う気持ちが多かったと思います。今回の本を再読して感じるのは「お願い、分かって・・」という懇願する気持ちです。