■ [大事なこと]プレゼント
私が高校教師の時、家に帰って、毎日、毎日、一升の酒を飲んで、「馬鹿野郎、馬鹿野郎」と言って泣いていました。でも、今、冷静に分析すれば自己憐憫のナルチシズムだと思います。しかし、そうでもしなければ精神を安定させることはできませんでした。だって、目の前に出口の見いだせない教え子がいて、それを救えない自分がいたからです。
しかし、今はそんな自己憐憫やナルチシズムに陥りません。なぜなら、出口が見えて、やるべきことがわかっているからです。
一人の人間を救うなんて、もの凄いことです。もの凄くエネルギーがいるし、もの凄い時間がかかります。そして、クラスの一人一人はすべて大なり小なり業を背負っています。見えやすい人と、見えにくい人がいるだけで、みんな背負っています。そんな数十人の業を教師が背負えるわけはありません。でも、一人の教師が自分の家庭を壊さずに、すべての子どもに与えることができます。それは、自分の担任を離れ、次の学校にうつったとしても、一人一人を支えてくれるコミュニティ(あえて友とは書きません)を全員に与えることができます。たとえ、その子たちを自分が担任するのが一年だけであったとしても、その一年で与えられるコミュニティはあります。そして、その年度のコミュニティだけがあるだけで、救われる子どもは少なくありません!私の確信です。
あえて攻撃的に書きたい(筆の勢いですが)。私の確信を否定したり、笑う人に問いたい。「じゃ、代案は?」と。代案がなければ、頭の中を都合よく分けるか、自己憐憫のナルチシズムか、いずれかです。それよりはましだと思います。