■ [嬉しい]九州
17日~19日は佐賀で講演をします。何よりも楽しみなのは17日と18日の夜。佐賀の同志はもちろんですが、九州の同志と一緒に飲めます。同志と私との語らいには、それほどの意味はありません。どうせ私は「手引き書」に書いたことを連呼する程度ですから。しかし、見知らぬ同志が出会う機会になれば嬉しい。異質な出会いは、常に化学変化を起こします。その果実は半年以内に味わえます。ワクワクします。
■ [親ばか]可愛い盛り
私が親ばか言うと、「今が可愛い盛りよね」とよく言われます。それは0歳の時、1歳の時、2歳の時、3歳の時・・・・、そして今も言われます。しかし、その度に「これからもっと、もっと可愛くなります!」と断言します。今日も、息子を見ながら、そう思いました。
そりゃ赤ちゃんの可愛さは格別です。この世の中にこれほど傷のない美しさがあるのかと思いました。しかし、赤ちゃんの可愛さに比べて、今の可愛さはもっとです。今の可愛さは「赤ちゃん」の可愛さではなく、「息子」という個性のある可愛さの部分が多い。きっと、今の可愛さを、あと4年は楽しめます。そして、それから6年は、小憎らしい可愛さを楽しめます。そして、それ以降は、頼もしい可愛さを楽しめます。そして、孫を抱く息子の可愛さを楽しめます。毎年毎年、もっと、もっと可愛い息子を家内と一緒に楽しめます。
追伸 孫が可愛いのは、可愛い息子が愛する子どもだからですよね。
■ [Q&A]質問に応えて2
昨日に再録した質問は、個人に着目する質問です。本日は、グループに関する質問です。
代表的な質問は、「間違った知識が広がってしまうことはないのか?」、「仲良しグループで固定してしまわないか?」です。前者の原因は後者なんです。即ち、グループ内部でのコミュニケーションは成り立っていても、グループ間のコミュニケーションが成り立っていないことが原因です。グループを形成している2~4、5人がみんな知らない、もしくは分からない、ということはあり得ます。しかし、クラスの数十人が知らない、もしくは分からないと言うことはあり得ません。教師がやるべきは、「みんな」とは何かを伝えることです。現状の一斉学習におけるグループ学習では、自分の属しているグループと関わりを持てば「みんな」とやったとされています。ところが、『学び合い』では、みんなとは本当にみんななのです。このみんなを成り立たせるためには、立ち歩き他のグループが出来たかを確認しなければなりません。そのようなことが起これば、上記のようなことは起こりません。
また、「教える-教えられるの組み合わせの固定化は?」を心配される方がおられます。しかし、そのようなことは起こりません。教えられる方が、教えられる方からの情報を黙って写すレベルでは、そのようなことも起こるでしょう。しかし、教えられる方が本当に分かりたいと思い、教える側と議論すれば、教える側も多くを得ます。そして、実際の学びは、教え、教えられがダイナミックに変わります。詳しくは「勉強しなさいを言わない授業(東洋館出版社)」にあります。教師は、教えるということを、正しい情報を伝えるという静的なもののように捉えています。しかし、本当の学習では正しい情報を子どもたちが創り上げる動的なものです。そのようなときには、「教える-教えられるの組み合わせの固定化」はありえません。