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2009-02-19

[]追伸 18:14 追伸 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 追伸 - 西川純のメモ 追伸 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 宗教に関して強いアレルギーのあるゼミ生から、下の例は、例として適切でないと「ご指導」を頂きました。私は宗教を広い意味で捉えているのですが、狭い意味の宗教(それも狂信的)に捉えられる危険性を指摘されました。私は宗教に対して共感を持っているし、拘らないので、以下のような例が自然に出るのですが・・・

 言うまでもないですが、『学び合い』は狭い意味での宗教ではありません。「多様な人と折り合いをつけて、自らの課題を達成する」ことは、とても大事だと考えている生き方です。そして、「個人を見捨てず、でも個人に拘らず、集団で捉えよう」とする生き方です。

 これって、変じゃないですよね。『学び合い』は、それをとても大事にして、求め続けているだけのことなんです。

[]教徒 17:28 教徒 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教徒 - 西川純のメモ 教徒 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本人は宗教に寛容であり、他国に比べれば殆ど無宗教であるというのが一般的な解釈です。そりゃそうでしょう。結婚式は神道で、葬式は仏教というひとが大多数です。お坊さんは仏式で結婚式をやりますが、それに参加した人は少ないでしょうね。逆に、神道の葬式に参加した人はいるのでしょうか?さらに、クリスマスやバレンタインを普通に祝います。冷静に考えれば無茶苦茶です。ところ山本七平はイザヤベンダサンというペンネームで、日本人は戒律の厳しいユダヤ教徒に比肩すべき戒律の厳しい日本教徒であることを示しています。

 異教徒からみれば他宗教の戒律は厳しいものです。例えば、イスラム教徒は豚を食べません。ハムを料理に使わなくても、ハムを切った包丁で料理したものは食べません。これは日本では大変です。「それを守るイスラム教徒は大変だな・・・」と思いますし、同時に、「何でそんなことするの?別にいいじゃん」と思うでしょう。でも、豚を蛇に置き換えましょう。日本人は蛇は食べません。蛇を普通に食べる地域(事実あります)で生活したら、たとえ蛇を食べなくても、蛇を調理している蛇料理の店で食べるのはいやでしょう。おそらく、蛇を普通に食べている人から見れば、「大変だな・・・」と思いますし、同時に、「何でそんなことするの?別にいいじゃん」と思うでしょう。日本人は比較的均質な文化を持っています。そのため、他文化の人から見たら日本人は、異常に戒律の厳しい日本教の教徒に見えるのです。

 おそらく一般の人から見たら、『学び合い』の実践している人は、異常に戒律の厳しい『学び合い』教徒に見えると思います。でも、逆に言えば、一斉指導を実践している人は、異常に戒律の厳しい一斉指導教徒なんです。はたしてどちら方が戒律は厳しいでしょうか?

○一斉指導教では、子どもは分からなくても、つまらなくても、黙って静かに先生の話を聞いて、ノートに写すことが求められます。『学び合い』教では、子どもは分かるために自由することが求められます。

○一斉指導教では、子どもは黒板をむく側に椅子を配置したり、コの字に配置することを求められます。『学び合い』教では、椅子をどう配置するかは自由です。さらに言えば、座らなくても良いのです。

○一斉指導教では、最初から最後まで教師は語り、質問することが求められます。『学び合い』教では、あまりやるとバカにされます。

○一斉指導教では、最後のまとめをしなくてはなりません。『学び合い』教では、したければしてもいいのですが、それは教師の精神衛生のためであり、あまりやるとバカにされます。

 『学び合い』教徒の戒律は、学校観と子ども観の二つです。そして、二つとも民主社会において法律に基づいています。考えてみてください。

○国語、社会、理科等の教科の時間の大部分は、教科内容を学ぶことが主であって、人格の完成をあまり意識しなくて良いというのは、教育基本法第1条に抵触しないでしょうか?

○指導要領に定められたことを分からない子どもが3、4割以上いるというのは法律違反ではないでしょうか?

○クラスの中で不登校の子がいる、保健室への不定愁訴の子が3、4人いるのは法律違反ではないでしょうか?

 まとめましょう。『学び合い』は宗教だと言えば、その通りです。でも、多くの教師は一斉指導教の宗教であるという意味と同じ意味で宗教です。そして、『学び合い』教の戒律は一斉指導教の戒律よりも自由度が高い戒律です。そして、日本の法律に抵触しない戒律です。

 『学び合い』は宗教です。でも、一斉指導より「ずん」と良い宗教だと思います。あはははは

追伸 何度も書きましたが、『学び合い』は実証データに基づいている、科学と同じ宗教です。

[]西川ゼミ的発想 11:19 西川ゼミ的発想 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川ゼミ的発想 - 西川純のメモ 西川ゼミ的発想 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3月10日に、教職大学院の成果発表が地元教育委員会に向けてあります。今回は、私のチームともう一つのチームが代表して発表します。ところが、その日は大阪で博士課程の会議があり、それは絶対に欠席できません。悩みました。すごく。でも、どうしても大阪の会議は欠席できません。そこで、学生さんたちだけで発表することが可能か確認し、それが許されました。

 学生に、その日は私がいないことを告げました。その反応は、「え!先生がいて、何かするんですか?」です。つまり当然のように、私がいることを必要としていませんでした。脱帽です。

[]せっかち 07:03 せっかち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - せっかち - 西川純のメモ せっかち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はせっかちです。多くの同志に「もっと、もっと」とせっつきます。でも理由があります。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/take1_No12/20090218/1234969491

 もし、その学校の3年の担任が『学び合い』を実践すれば直ぐに解決できることです。もし、学校に『学び合い』を実践している先生がいれば、3年の担任の相談相手になれます。せめて、その市に、3年の学級で『学び合い』を実践している先生がいれば、学校を移れば救われます。

 私は一人の子どもも見捨てたくない。でも、それはみんなで実現することなんです。しょうがない、と割り切れれば、せっかちにはなりません。でも、それは私には出来ません。

 同志各位。焦りましょう。苦しんでいる人たちがいます。