■ [嬉しい]痛快
私は夢を語ります。その夢では常人からは荒唐無稽なことを、いともたやすく実現できると断言します。常人だったら、ホラか意図的な嘘と判断するでしょう。でも、私は根拠無く言っているわけではありません。今までのデータの積み上げ、実践の積み上げから、十分に実現可能なことを言っているのです。でも、それをホラか意図的な嘘と判断されることは、実は傷つきます(まあ、しょうがないと思いますが)。
本日、地元上越の学校で今年度実現させたい夢を語りました。そうすると、そこの校長は、私に輪を掛けるような夢を語ります。それに呼応して私が夢を語ります。そして、それが・・・・。それをニコニコしながら研究主任が聞いています。痛快です!
日本中の全てが変わったとしても、私の地元上越は変わらないのではないか・・・と長年考えていました。だって、私は上越に住んで23年間の内、20年間、私を学校として呼んでくれたのは、小学校1校、中学校1校に過ぎません。全国各地から講演に呼ばれるにも関わらず、地元だけからはお呼びがほとんど無い。正直、いじけます。
しかし、『学び合い』を受け入れてくれる学校が生まれました。そして、2年間、見てくれました。そして、本当に分かってもらえました。ありとあらゆる面で、『学び合い』には無理が無く、狂信的ではなく、実は教師にとっても子どもにとっても自由であることを理解してもらえました。だからだと思います。
全てを教師が背負わなければならないと思いこんでいる人にとっては、私の夢は荒唐無稽に思えるかも知れません。でも、子どもや保護者という大いなる味方を得てやれることを知っている我々にとっては、ごくごく普通なことに過ぎません。その普通のことを上越でやれば、そりゃ、戦術核兵器ではなく、戦略核兵器なみの影響力があります。
最近では、別府でもそうでした、沖縄でもそうでした。私の本や講演ではなく、子どもたちが『学び合い』が本当であることを示してくれます。その子どもたちの姿にあっけにとられている教師の顔を見れば、「そ~ら、本当だろ!」と大声で叫びたくなります。それが上越で実現できるのです。
痛快です。実に、実に、痛快です!