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2009-09-22

[]いじくらない 22:07 いじくらない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - いじくらない - 西川純のメモ いじくらない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川ゼミのOBOGだと、嫌と言うほど分かっていることです。

 私は初期段階は、徹底的に議論し、いじくります。が、課題設定が終わったなと判断すると、殆どほっぽります。まあ、たまにはからかいますが。理由は、いじくりすぎると、私のコピーが作られるからです。コピーは絶対にソースを越えることが出来ません。私は、私のコピーを作りたいわけではありません。私を越えた人が生まれることによって、私は学びたいのです。

 ほっとけば、私とは違ったことを言います。行動します。でも、それは良いことです。押さえるべき、ごく少数のポイントだけをモニターしています。それが犯されない場合はほっときます。犯されたときでも、介入を出来るだけ避けます。私の誤解から介入し、それによって発展するべき芽を潰すのを恐れるからです。

 私に対して語るときゼミ生は慎重です。もちろん、叱ったり、怒ったりはしません。お金がかかること、頭を下げること、それに関しては簡単です。熱意と決意をハッキリしていればいいのです。でも、「どうしたらいいか?」という方法を聞くときは慎重になります。もし、「語りながら私の反応を探っており、私から答えを引き出そうとするとき」、また、「自分に答えを持っているが、その責任を自分が負うのではなく私に負わせたくて質問するとき」は、もの凄く丁寧に・嫌みったらしく・もてあそびながらからかいます。それも、ゆっくりと、数学の証明のように心の弱さを証明します。

 そんなことをしますので、私に対して恐れます。叱ったり、怒ったりはしないのに。でも、「助けて」という求めに応えなかったことはありません。本人が周りに相談したけど解決できないとき、いや、周りに相談できないとき、どんなときでもどんな内容であっても、最後の最後まで応えます。それは、そのような状態になってしまう環境においたという贖罪です。

 という例外以外は、いじくらないようにしています。これは、ネット環境においても、関わる人との基本戦略です。私は、学びたいのです。

[]家族を語る 18:27 家族を語る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 家族を語る - 西川純のメモ 家族を語る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を実践する人には愛があると思います。だって、そうでなければバンジージャンプの一歩を踏み出せないと思います。クラスの中にいる、「苦しんでいる子」の気持ちを考えず「しょうがないよ」と合理化できない人ですから。

 でも、その「愛」は子ども達にも伝わります。子どもの求める「愛」の基本形は「肉親の愛」です。それを満たされていない子どもは教師に「肉親の愛」を求めます。辛い立場の子どもは教師に「肉親の援助」を求めます。そして現状の学校では、保護者も同僚も教師に親代わりを求めます。そして、教師自身も親代わりになろうとします。

 でも、なれるでしょうか?無理です。クラスの中には肉親を求める子どもはかなりの数いるはずです。色々な姿でそれは求めます。まずは教師に認められたいと願い、成績を上げようと思います。でも、それで認められることがかなわなければ、面白いことをして教師にアピールします。それでも認められないと、わざと反抗します。こう考えると、『学び合い』かなりの数がいるのが分かりやすいと思います。それらの子どもはみんな「先生~!!!」と声を上げているのです。さらに言えば、それすら出来ない目立たない子も声を上げているのです。

 学部学生さんが教育実習の終わった後、「子どもから先生の家に遊びに行きたいと言われているのですが、どうしたらいいでしょう?」と聞かれたことがあります。その際言ったのは、「全ての子どもを遊びに来させられるなら、来させてもいいかもしない。そう出来ないなら、やるべきでない」と言いました。私が高校教師だったとき、授業中に一言でもいいから全員に声をかけることを自らに課しました。それは「お~」レベルも含めてです。一人の抜けもないように、出席簿にチェックして声をかけました。ところがそのレベルであったとしても、かなり困難だったと記憶しています。

 では、どうするか?『学び合い』しかありません。でも、教師の存在は圧倒的です。クラスづくりをしている段階だと、教師に肉親を求める子どもがいるかもしれません。そのような時はどうしたらいいか?私は、自分の家族のことをいっぱいしゃべることが有効だと思います。そうすれば教師は親ではなく、職業であることを理解できると思います。また、保護者にもいっぱいしゃべるべきだと思います。そうすれば、教師に聖職を求めれば、教師の家族が犠牲になることが見えやすくなります。

 我々は家族のことをいっぱいかたることによって、子どもとの間合いを保ち、身を守ることが出来ることが出来ます。そういう意味でも、家族の話を語るのは大事です。

追伸 西川ゼミ、特にOBOGは上記のことが分かっているので、私に出張や休日出勤を頼むときは、相当覚悟しています。私はOKを出しますが、その後が恐ろしいことを、よく知っていますから。ふぉふぉふぉ