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2012-04-02

[]郡山 06:44 郡山 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 郡山 - 西川純のメモ 郡山 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 郡山の会で懐かしい顔、ネットでは知っていた人、新たな人にお会いし、ハイテンションに楽しかったです。懇親会でも馬鹿話を一杯出来て楽しかった。

 個人的に以前からトランクスが主流になったのはいつなのかが長年の疑問でした。私の大学時代、大学の学生寮には風呂がありました。その時、そこに入った人はブリーフをはいていました。つまり、私の前後5年程度の人は若い人はブリーフでした。しばらく協同風呂や温泉に行っていませんでしたが、大学教員になってしばらくたつと若い人(いや、おじ~さん以外のおじさんも)はトランクスになっていたのです。一人、ブリーフだった私には驚愕の事実でした。私に断り無くいつ変わったんだ~!という感じです。これだけ劇的な変化なのにも関わらず、テレビでその手のコメントを聞いたことがありません。不思議だな~っと思っていました。

 昨日の懇親会では、年齢構成がよさげなので参加者の人にしつこく聞き回っていました。そばにいたイマキヨさんからは呆れられていましたが、本当に私にとって長年の懸案だったので食い下がりました。その結果、新人類と言われた世代からのようです。

 おい、それが郡山の会の報告かよ、と思われる方は下をご覧下さい。

[]絆 06:44 絆 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 絆 - 西川純のメモ 絆 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 被災地の映像を見る度に涙し、そこにボランティアに行く方々の映像を見る度に尊敬と我が身のふがいなさを感じました。昔は、人に自分の荷物を持たせなかったのにも関わらず、最近はお願いすることが多いです。ちょっと重い物を持つと、二ヶ月ぐらい腰痛になります。そんな私が瓦礫処理のボランティアに言ってもじゃまになるだけです。日本人の一人として恥ずかしくて、いたたまれず宮城と福島の仲間に今回の会のことをお願いしました。幸い、お受けいただき、なにがしかのことをする機会を持つことが出来ました。

 しかし、今の現場に行って見聞きしたものはマスコミで流れているものとは違います。マスコミは分かりやすくするために、単純な枠組みで伝えようとします。しかし、現実はそんな単純なものではない。今回、一番感じるのは被災地が綺麗で正常に動いているように見えることにビックリします。同時に、そう見えるのにも関わらず、そこに押すマイされている方が非常に控えめに語る一言の中にドキリとするようなご苦労を知るのです。そして、マスコミが流すような絆や、「頑張ろう○○」のような美談とは違って、人の繋がりの醜さを垣間見ることを出来ました。人の繋がりが醜いが故に、一生懸命に「頑張ろう○○」とアピールしなければならないのだと思います。そして、明日は我が身だと思いました。

 私の中にあった、被災地復興のために0泊3日のボランティアに行かれる方々に対する劣等感は吹っ切れました。私がすべきこと、それはその地に行かなくても出来ることだと思います。それは日本中にネットワークを広げること。それが結果として被災地の仲間を守ることだと感じました。今、進行している「良い悪巧み」をより早くより強力に進めようと思いました。

 宮城と石巻で多くのことを教えていただいた方々に感謝です。

[]シフト 06:44 シフト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - シフト - 西川純のメモ シフト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 石巻の会には東京から議員さんの一団が参加してくれました。郡山の会には二人の校長先生が参加してくれました。昨年度に上越においでになったお客さんの3分の1強は、校長先生および校長先生が学校づくりのために派遣した職員でした。思い起こせば、上越に校長先生が『学び合い』学びに泊まりがけで来た最初は2008年1月です。それまでは自分の授業改善を目指した方ばかりだったので非常に新鮮でした。ところが今は、『学び合い』を学校づくり、地域づくりの視点で見る方が増えています。そして、私もクラスづくりから始まったのですが、今は学校づくり地域づくりにシフトしています。

 昨日、ふと何故だろうと思いました。その結論は私が教職大学院に所属しているからだと思いました。おそらく教職大学院に所属していなければ、6年前に第一回『学び合い』フォーラムを開かなかったでしょう。そして、授業づくりから学校・地域づくりにシフトしなかったでしょう。少なくとも、そんなに自分に鞭を打ってでも早くしようとは思わなかったとおもいます。

 教育研究者の私は理論的な結果は提案するが、それを選択するのは現場の先生の仕事というスタンスが責任を負わなくてすむので気が楽です。ましてや見知らぬ人と話すのが極端に苦手な私は、学校現場の先生や管理職の方と話すのが苦手です。だから、研究を進め、その結果が徐々に広がればいい、という感じでした。それが私の役割分担だと思っていました。

 ところが、平成16年8月4日の午前8時で場所は筑波のホテルの朝食会場で教職大学院という制度が導入されることを初めて聞き、上越に戻って直ちにその計画を立てさせて欲しいことを直談判しました。今から7年半前です。教職大学院の制度を調べると、長期の教育実習を2回もしなければならないことが分かりました。従って上越教育大学で教職大学院が成立し、私がそこに所属したら私のゼミ生に教育実習の場を確保しなければなりません。私がごく普通のことをやっていたら問題ないのですが、私のやっているのは新興宗教と揶揄される『学び合い』です。そのことを受け入れてくれる学校をゼミ生のために確保するのが私の仕事です。教育研究者の私は理論的な結果は提案するが、それを選択するのは現場の先生の仕事というスタンスではいられなくなりました。

 そこから必死になりました。ただ『学び合い』のセオリーから、上越の地の問題だけの問題とは捉えず、より広い範囲の課題と捉え、そこから階層ごとに分けて戦略を考えました。それがフォーラムであり、手引き書であり、導入書であり、スタートブックです。そして地元上越での学校づくりに積極的に関わることになりました。それらが有機的に関連づけられることによって、私の教え子でありゼミ生を守ることが出来ました。

 全国の仲間の皆様へ。皆さんの抱えているクラスの問題を解決するには、学校のレベル、市町村のレベル、都道府県のレベル、日本のレベルのそれぞれで課題を設定する必要があります。もちろん出来ないことも多いですが、出来ることもあります。そして、我々には全国に広がる仲間がいます。その中で、『学び合い』を、授業方法ではなく人の生き方(戦略)であることを実感できます。お勧めです。

 我々教師の仕事は、目の前の子どものことです。でも、それを確実にするには日本レベルの視点も必要なのです。