■ [大事なこと]音・言葉
高校時代はオフコースを何度も何度も聞きました。その時感じたのですが、最初に好きになった曲が、聞き込むとそれほどではなくなります。逆に最初にはそれほどとは思わなかった曲が、聞き込むと大好きになります。最初は音で判断し、最後は言葉で判断しているように思うのです。
高校教師時代以来、落語をずっと聞いています。高校教師時代は一斉指導の基礎技能として話術を学ぶために聞いていました。『学び合い』の場合は話術は必須ではありませんが、何故か落語は大事なように思えるのです。その理由が分かったような気がします。
新作落語で勝負している人は、その内容で笑わせます。しかし、何度も何度も聞けば賞味期限が切れます。古典は賞味期限が長いですが、それでも何度も何度も聞けば賞味期限が切れます。それは名人上手と言われるような方もです。
何度も何度も聞いていて最後に残るのは、その人の声のように思うのです。その人の声が心地よく感じる人は、何度聞いても心地良い。きっと声の音ばかりではなく、マクラの内容からその「人」を感じ取っているのだと思います。
四半世紀以上、ずっと聞いて心地よいと感じるのは、三遊亭圓生、柳家小さん、柳家小三治、柳家さん喬、桂米朝、桂枝雀、桂文珍、立川志の輔です。得に、圓生、さん喬、米朝の声が大好きです。
きっと『学び合い』でも話術ではなく、人が伝わる声が大事なように思うのです。