■ [大事なこと]小学校の先生へ

小学校の同志の方々へ
今まで「教科の本質は『学び合い』では教えられない」と言われたことありませんか?現実に教えていると、そんなことはないことはわかっているのですが、どういう風に話したら良いか悩みませんか。
新刊の「高校教師のためのアクティブ・ラーニング」(東洋館)をお読み下さい。そして、それをそのような方に紹介して下さい。教科担任の高校の先生が、教科の言葉でそれを語っています。タイトルの「高校」に目を惑わされることはありません。この本は、教科を前面に出した、『学び合い』の最初の本だと理解下さい。
■ [嬉しい]高校教師のためのアクティブ・ラーニング

「高校教師のためのアクティブ・ラーニング」(東洋館)を全部読み直しました。不覚にも、何度も涙が流れました。原稿の段階で読んでいたものであっても、本となって読み直すと涙が流れます。
私の担当のところに比べて、各教科の先生方の書かれた部分の方が段違いに「いい」と思います。
何故涙が流れたか。
教師としての喜びは、大学教師より高校教師の方が多く得られます。そのことは大学教師に代わってから思い知らされました。毎日、「何で俺は大学に異動してしまったんだ」と酒を飲むたびに悔やみました。しかし、しょせん私は教師として子どもの業に正対できる能力は無かった、と納得して諦めました。
本に関われている実践者の文章を読むと、「そう、高校の教師はそうだよな」と思いだし、「あ~この世界を出て行ってしまったんだな~」と思うと涙が出ます。
しかし、もう一つの涙もあります。
本に書かれている教師の喜びは、私が高校教師だったときに得ていた喜びとは次元が違います。私が授業中に得た喜びとは、子どもたちを私が思ったとおりに動かしたときの「私」に対する喜びです。しかし、本で書かれている授業中の喜びは、自分の想定していない子どもの姿であり、それによって子どもが成長していることに対する喜びです。
それを感じるとき、悪気はなかったが、高校教師時代に犯した過ちの罪滅ぼしの一部が出来たのではないかと思うと涙が流れます。