■ [怒]ちゃんと
あるゼミ生はイジメをテーマとしています。ゼミ生はイジメを解決したいと願っています。
私はイジメをしようがないという考えを変えたいのです。その方向で指導しています。方法は「イジメは無くなるか?」ということを、将来、教師になるであろう本学学生とゼミ生が議論する方向です。
そのゼミ生は本学学生との会話を通して、イジメが起こる理由を納得しましたと言いました。そして「アドラー心理学では・・・・」と言い始めたのです。本当だったら、最後まで言わせた後で静かに議論すべきであることは分かりますが、あまりにも惨すぎて耐えられなかった。
その学生に、君がイジメはしょうがないと思うのか?と問い詰めました。
当然、違うと言いました。ホッとしました。
イジメはしょうがないと思う教師のクラスでイジメは無くなるか?と聞きました。
無くならないと言いました。
物事を理解するのは理論です。同じ現象も、理論が違えば見えるものは違います。だから、どの理論に依拠するかが大事です。
私はアドラー心理学の専門家ではありません。私の知っているアドラー心理学は野田先生の著作を通じて入りました。私はその香りが大好きです。愛を感じるのです。その後のアドラーやドライカースの本も、それを前提として読みました。もしかしたら、アドラー心理学の正しい読み方は「イジメはしょうがない」というのかもしれません(そう思いたくないですが)。でも、そのようなことを教師、そして教師の卵がそう思うのは感情的に許せない。そして、アドラー心理学は、そんなことを言っていないと信じたい。イジメになっている子どもの気持ちをどう思っているのか、と。
生半可な知識。それ以上に許せないのは、子どもの人生をどう思っているのか、です。
教育は「愛」だと思います。建前でも結構です。それを持てない人間にクラス全員を幸せにする可能性は、無い。本日のゼミで、十分間ですが、本気に感情的になりました。
■ [大事なこと]やっています
「我々の地域は昔からアクティブ・ラーニングをやっています。だから、ことさら何もしなくてもいいのです。」と言っている人もいます。
凄いな~っと思います。
それが本当だったら、その地域から東京大学の推薦入試に応募できる子どもが一杯なんでしょう。そして、合格者が多いのでしょうね。京都大学の特色入試での合格者も多いのでしょう。
その地域のローカル経済は活性化し、高校卒業生の正規採用率は高いのでしょう。
でも、おそらく違うのでしょう。
重要なのは過程ではなく、結果です。結果が伴っていないならば、過程が誤りなのです。アクティブ・ラーニングの方法は何でもアリです。大事なのは、結果です。そのためにはどのような子どもを育てようとしているのか、が分からないといけません。
簡単に言えば、あなたのクラスに、今、同僚になって欲しい人はいますか?それがクラスの全員ですか?そうだったら、アクティブ・ラーニングをしています。そして、上司になって欲しい子どもがいたならば、あなたは素晴らしいアクティブ・ラーニングをしています。
自慢です。
ゼミ生たちを丸ごと職員にした学校が創れたら、最高の学校に出来ると思います。もちろん、ゼミ生の力量は様々です。でも、様々だからこそ良いのです。だから丸ごと職員にしたい。
私はかつて一瞬でも学長になりたいと思ったことはありません。しかし、私の教え子には学長の器があると思う人が複数います。私の願いは、教え子が学長になり、その大学の図書館長になることです。