■ [大事なこと]沈没船

たとえ話です。
船が沈没しているとします。
一等船室の人は船に用意されている救命船で既に脱出しています。
救命船はあるのですが、旧式で壊れています。修理には時間がかかります。
沈没船の中には3種類の人がいます。
旧式の救命船で大丈夫だ、その船で脱出しようという人。
いや旧式では途中で沈没する、しっかりと修理してから脱出しようとする人。
たしかに旧式では途中で沈没する、しかし、応急修理でなんとか出来る。脱出してから修理を継続したらいいという人。
この人達が議論して前に進みません。
実は第4番目の人がいます。
その人は、そもそも船は沈没しないと思っているのです。
この人達が最大人数です。
その人達は「いや旧式では途中で沈没する、しっかりと修理してから脱出しよう」という論陣を張ります。ようは結論を出さないようにすればいいのですから。だから決まるには時間がかかります。
その構造がわかっていて、このままでは多くの人が死ぬと思う人がいました。
その人は船内にある浮きそうなものを海に投げ込みます。
そして、それにとにかくつかまって逃げろと叫ぶ人です。
私はこの立場です。
以上、5つの立場のいずれもが人を救おうとしている行動です。
そして、いずれが正しいかは、船が沈没する可能性と、沈没するまでの時間をどう見積もるかです。
大学改革、入試改革は性急に過ぎるという主張は多いです。正論です。
これは「いや旧式では途中で沈没する、しっかりと修理してから脱出しよう」という立場です。しかし、その人達の主張は変えたくない人に利するものです。
私の本では、入試改革を学校のレベルで理解せず、日本の雇用の変化のレベルで見るべきだと書きました。
今、高校、大学を卒業する子ども達の4割が非正規採用となり、年収170万円の生活に突入しています。そして、その理由は、高校、大学が、企業が正規採用したいという人材を養成していないからです。
だから、私は議論の中に直接加わらず、一般の乗客に船の状態がいかに逼迫しているかを伝えます。それが一連のアクティブ・ラーニング関係の書籍です。おそらく類書と全然違うこと書いています。類書は学校村の話に限定されていますが、私は学校の外の社会の話を主にしています。
そして、とにかく浮きそうなものを持って海に飛び出すことを薦めています。
昨日の群馬の会で保護者の方から相談されました。『学び合い』で学校作りをした小学校の保護者で、その小学校を卒業してからも群馬の会に参加されている方です。その子も高校2年で、来年受験です。私の受験本を読まれているので、現状がどんな状態かを知っています。そこで、お子さんの進路を私に相談したのです。
大学入試までの時間は1年間です。やれることは限られています。
私が薦めたのはジョブ型学部に進学することです。そして、そのジョブ型学部の教員を調べどの教員の指導を仰ぐかを決めることを薦めました。おそらく、就職出来るか否かはどの大学のどの学部に進学するより、どの先生のゼミに所属するかが決定的です(ちなみに、研究者の世界の場合は、それで決まると言っても過言ではありません)。そして、その先生とメールのやりとりをすることを薦めました。心ある教師ならば、ちゃんと対応するはずです。そして、その大学へのモチベーションが高まります。受験の合否を決定する最大の要因は本人のやる気ですから。