■ [ゼミ]課題
今、ゼミ生に日本を動かす企画を考えろ、という課題を与えています。
当然、悩みます。で、どういうものが「日本を動かす企画なのか」と聞かれました。
私の応えは、「私がどう思うかではなく、これが日本を動かすものだと妄想できるようなものであればいい。仮に私がそのレベルなの?と聞いたとき、いや動かせると君らが私に反論できればいい。だから、私がどう思うかはどうでもいい。」と言いました。
このことに限らず、私はゼミ生の語ることより、語るゼミ生の姿を見ます。その方が正しく判断できます。だって、ゼミ生のことを本気で考え、時間をかけているのはゼミ生だから。私が求めることが自分の得になることさえ納得させればいいのです。
■ [大事なこと]入試改革
入試改革ですったもんだをしていますね。悪あがきですが、時間がかかります。
ふと思います。素人考えですが、「スマートフォン持ち込みをOKにする」とすればいいのではないでしょうか?そうしたとたんに、今の問題の多くは無効になります。そうしたら、否応なく、出題者は頭をひねるでしょう。そして、自由記述に逃げるはずです。
選択肢でスマホ持ち込み可能で成り立つ問題、それも学力の三要素を満たす問題を考えるのは骨が折れますよ。
ま、妄想です。
子どもたちの生活する社会、いや、今の時代、スマートフォン持ち込み自由の世界ですよね。五十歳代後半の私がビックリするのですが、40台後半より若い人、一人でいるとずっとスマホをいじっている。そういう時代です。
■ [大事なこと]最後のピース
私の教師としての原体験は、学力的に最底辺の高校の講師です。私の教え子は中学校の内申書が純粋無垢のオール1の子どもも多かった。世の中に、こんなに多くのオール1がいるとは思ったことはありません。家庭的に問題のある子、暴走族、暴走族OBが多かった。知的障害、情緒障害、学習障害の子もいました。
私はその子たちみんなを分からせたかった。でも、それは無理と諦め、みんなを分かった気にさせる授業をした。そして、その技術を洗練させ、それを誇った時期がありました。
私はその子たちみんなを幸せにしたかった。でも、それは無理と諦め、みんながその時間楽しめる授業をした。そして、芸人のような話術と、出し物の質を高め、それを誇った時期がありました。
それはまがい物であることは知っていた。しかし、それ以上のことを私は出来なかった。
そして、一人、一人と、学校からドロップアウトし、まっとうな社会とのつながりをたたれる子どもたちを見捨てていた。
いい授業とは、と考えるとき、私はその子たちのことを頭に描きます。
だから数多くの論文を書き、数多くの学会の賞をいただいた研究を捨てて、『学び合い』研究にシフトしました。
そして二十数年たちます。
原体験の子どもの一人一人を思い描き、その子たちが分かる授業が何であるか今は分かります。そして、その子たちの一生涯の幸せを具体にイメージできます。でも、それでも救いきれない子どもがいます。
昨日完成した本の最後にFさんが書いてくれたことが最終的な答えです。
Fさんは以下のようなメールを私に送りました。
わかりました。
私が得た学びは、最後の一文なのですね。
感無量です。
ありがとうございました。
その部分を読み、「あ、最後のピースがぴたりはまった」と思いました。実は前から知っていたことであり、語っていたことです。しかし、私が語っていたこと、書いていたこと以上に、深みがあったのです。全ては繋がりがキーなのです。
救う子どもの範囲を広げ、救う時間の範囲を広げ、つまり、縦と横の範囲を広げました。
どんな子どもも、一生涯を幸せにすることが出来ることを、今、確信できます。