■ [お誘い]東京の会

10月15日に東京で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/s/event/index/484600/
■ [大事なこと]公教育

公教育は一人一人の子どもの幸せにあるのではなく、社会を成り立たせるためにある。だから、社会を成り立たせることと、一人一人の子どもの幸せが両立する論を我々は立てなければならない。
公教育は一人一人の子どもの幸せにあるのではなく、社会を成り立たせるためにある。と見切らないと、現状の問題点を嘆き、政治や行政を難じるしか術はなくなる。でも、結局、子どもは救われない。
社会を成り立たせることと、一人一人の子どもの幸せは本当は一致します。何故なら、社会は犯罪を犯さず、勤労と納税を行い、子女の教育をする国民を求めているのですから。(日本国憲法をお読み下さい)
ただ、学校は勤労と納税を行い、子女の教育をする国民を養成していない。だって、子ども達が生きる社会がどんなものであるかを考えず、教科書・教師用指導書にあることを確実に教えることが教育と考えているのですから。
例えば、「子ども達の生きる社会はどんな社会ですか?」と聞いて、その後に、「その社会で勤労と納税を行い、子女の教育をすることと、今日、教えていることとどのように関係するのでしょうか?」と問われたとき、一般論ではなく具体的に語れる人はどれほどいるだろうか?
■ [大事なこと]読めない

最近、優れた研究者による戦後日本の教育に関する統計データをベースにした本をいくつか読みました。が、読めないのです。内容は優れています。論もしっかりしてシンプルです。が、読む気にならないのです。
結局、放棄しました。私には時間が無い。教養のために本を読む時間は無い。
私の研究者としての最初の5年間は、アンケート調査をベースにした研究です。30年前の教科教育学では、人文的な教育学研究の影響が強く、実証的な研究は未整備でした。たった30人の簡単なアンケートの結果が、学会誌に堂々と掲載される時代です。理学部出身の私は目を疑いました。そして、こんなくだらない学問を選んでしまったのかと自己嫌悪しました。しかし、そのレベルであるならば、若い私でもいくらでも乗り越えられると分かりました。幸い、私には大型コンピュータを使いこなせます。ノンパラメトリックの統計手法を理解しています。これを武器にした論文を書きまくりました。私にとっては笑っちゃうほど簡単に業績を上げられました。
が、やがてやる気を失いました。
理由は、何故、子どもが分からないかを間接的に明らかにすることが出来るのですが、子どもが分かるための直接的な方法が見えないのです。当時の私の研究から、制度的な変更が改善に必要なのです。しかし、そんなの私が出来るわけない。そして、制度的な変更を出来る人は、学術研究には興味は無い。だって、学術研究者が制度を変えられる人を説得出来るようなレトリックの論文や本を書いてないから。書く気が無いし、書けないのでしょう。だって、本当に書こうとすると、その論がリアリティでないことが露わになってしまう。
だから、ある時期から一教師でも出来る改善を目指すようになりました。そして、普通の教師でも分かるような本と、その本のベースになる実証的研究をするようになりました。
最初に述べた本を読んだとき、これは制度を云々しており、それでいて制度を変える人が変えるとは思えない本なのです。そして、この本のジャンル・レベルのことを理解する人、いや、そもそも読もうとする教師がどれほどいるだろうか?と思ったのです。そして、この本の論は優れているが、社会科学的には意味が無いと判断しました。
数学や自然科学研究は人を超えて価値が決まります。例えば、その研究のことを本当に理解出来る人が100人に満たなくても、フィールズ賞やノーベル賞を受賞することが出来ます。しかし、社会科学は違います。その明らかにしたことによって、どれだけ多くの人が行動し、社会が変わるか否かで決まると私は認識しています。
追伸 真面目な教師の方々に申します。読んで、難しいと思ったら、どんなに評判の本でも読まない方がいいですよ。読んでも時間の無駄です。じゃあ、どんな本を読むべきなのか?第一に、するすると読める本です。これは、あなたが読む準備が整っていることを意味します。つまり、吸収力が高い、効率がいいのです。教師は忙しいのですから、読む本を選択しなければなりません。ただし、この第一の本は、現状のあなたを充実させることは出来ますが、別な方向での拡張は起こりません。第二は、するすると読めるが、心に違和感が残る本です。心に違和感が残るのは別な方向での拡張があるからです。しかし、するすると読めないならば、読む必要性はありません。少なくとも今はあなたの準備が整っていないのです。