■ [大事なこと]頭が下がる
本日、大学の管理職と議論しました。私としては正しいと思う論を述べました。それに対して管理職は管理職との論を述べました。それはかみ合いません。前提としてるものが違うからです。しかし、管理職の論は筋としては通っています。ですので、管下の職員としては論を引っ込めました。
価値観との戦いです、ほぼ1時間議論しました。が、心地よかった。論は違いますが、誠実に対応していただいたからです。大人と大人の議論に終始したことに心地よさを感じました。
今の時代、大学は縮小の方向です。だから、管下の職員に対して我慢を求めることが多い。とても、嫌な役回りです。その時代に管理職になってくれる人は本学の宝だと思います。
ガンガンに議論をふっかける私に対して、誠実に対応している管理職を鑑賞しながら、今日の午前中を過ごしました。私には出来ません。
■ [大事なこと]普通科高校改革
テレビで教育再生実行会議が普通科高校の改革を打ち出したというニュースを聞いて、「よかった~」と思いました。しかし、ネットで流れる情報の限り、「やはりな」と思いました。最終提言がまだアップされていないので、ネットで流れる情報の範囲で書かせていただきます。
まず、高大接続に続く一連の改革案は、日本にエリートを育成しようという案です。その方向性は否定しません。限りあるリソースを投入するとしたならば、そうあるべきです。でも、普通科高校に進学する子どものたちの殆どには関係ないことです。その子たちは、非正規雇用への道を歩んでいる。どうすればいいか?普通科高校の総合科高校、職業科高校への移行しかないと思います。
残念なのは、普通科の教育が画一的に陥り、生徒の興味関心を踏まえる内容になっていないと判断し、生徒の学習意欲に悪影響を及ぼすと見直しを迫ったにも関わらず、文理両方を学ぶ人材の育成が急務と求めている点です。これって自己矛盾です。もちろん、多くの子どもたちにとって文理両方を学ぶ人材の育成が必要だと思います。しかし、文系に偏った教育、理系に偏った教育も併存しなければ画一的になります。
例えば、数学に関してものすごい能力がある子どもも、古典の「あり、おり、はべり」を学ぶべきなのでしょうか?その子の才能に特化した学びを認めてもいいと、私は思います。結局、全ての子どもに対して基礎的・基本的学力を保証するという至極、まっとうな大前提があるのです。ところが基礎的・基本的学力とは何かを操作的に提起する人はいない。つまり、みんなで「な~んとなく」基礎的・基本的学力を語り合っているのです。