私の教師経験は2年間です。でも、その中でも学べたことがあります。
第一に、犬畜生のような親がいること。詳細を書きたいですが、書けません。
第二に、その中でも、子どもは生きています。子どもとの間合いが近づくほど、犬畜生のような家庭で生きているのに、私に接するときは「子ども」なのです。
第三に、子どもとの間合いが近づくほど、彼らの業を知ります。そして、何も出来ないのです。
多くの教師は、その業の香りを感じています。でも、知らなければ、知らなくていい。そして、卒業式で胸を張って行進する子どもを見れば満足する。
すみません。怒らないで下さいね。
義務教育および偏差値35以上の高校教師は、教え子が奈落に落ちる瞬間を知らない。
奈落に落ちるのは、卒業式後だから。そして、加害者が自分という自覚がない。
ゼミ生諸君、君らが私を乗り越えられないのは、それを知らないから。
そして、私の願いは、ゼミ生がそれを一生涯知らないこと。
でも、その業を知らずに、でも、その業を背負っている子を救う道があることを。
だから、普段のモードと、語るモードでの違いがあるのです。
普段はオッサン。でも、語り始めると、重いでしょ。そりゃ、私の背負っている過去は重いから。