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老後

 長文です。

 大学教師になってからの野望には遍歴があります。

 25歳で大学教師になってから約20年間は、研究者として成功したいという俗な野望です。しかし、しかたがありません。大学教師は小中高の教師と違って、負け組と勝ち組の差が半端ないのです。研究者の世界は学術論文の業績で勝敗がつきます。だから論文を書け、しからずんば死ねという言葉があるぐらいです。

 狂ったように論文を書きました。大学院の同級生からは、「どの学会誌を見てもお前の論文が載っている」といわれました。大学院でお世話になった先生からは「君の論文にはフィロソフィーが無い」と苦言を言われました。しかし書きまくりました。おそらく平均的な教科教育学の研究者の20倍の論文を書きました。おかげで、私の元々の専門である理科教育学関係の学会の賞をほぼ総なめしました。本学の最年少記録で教授に昇任しました。理科教育学会の学会誌編集長になりました。数多くの教え子に博士の学位を与えました(その一人は日本理科教育学会の学会長です)。

 しかし満たされませんでした。学術論文は書き方を知っている人には、たやすく書けます。それは学会誌に受理される論文の書き方なのです。しかし、20年間封印していた、高校教師時代の自責に応えるものではありません。

 それからは最底辺の子どもを含めて、誰一人の例外も無く救うためには何が必要かを研究しました。本来、このような研究は非常に非効率で、成功の可能性は高くはありません。ところが、私が生物物理学を学んだことが、もの凄くフィットしました。毎年、毎年、ばく進しました。やがて、それを広く知って貰えるように、『学び合い』の会を組織したり、莫大な量の書籍を執筆しました。

 私なりに満足しています。もちろん私の望むレベルには達成していませんが、私のような者にとっては望外の成功です。

 大言壮語します。お許し下さい。

 明治以降の教育の歴史の中で、『学び合い』以外に以下を満たす教育理論、教育実践論がありましたか?

 実証的データに基づく教育理論、教育実践論。(これが決定的です。その結果として以下の特徴があります)

 それに対する関係書籍が揃っている。

 全国の小中高大で実際に実践されている。全教科で実践されている。(これも特徴です)

 世界的に見ても類例が無いと思います。(ありましたら教えて下さい)

 ところが、3年前ほどから、野望が無いのです。理由は二つです。

 第一の理由は、私の野望が私には実現不可能だからです。私が野望を燃やすとしたら、それは学校をコアにした地域コミュニティの構築です。これによって日本をパラダイスにすることです。しかし、これに関わるためには、その野望に共感する人が一定数以上必要です。しかし、工業化社会の考えに染まっている人が多すぎます。

 第二の理由が、実は本命なのです。それは楽しみたいのです。私の予想では5~10年レベルで大転換が起こります。私なりの関わり方で、関わることは可能です。でも、一度手をつけたら、30年ぐらいは手を抜けなくなります。

 私は本当に我が儘で、自分の好きなものだけを徹底してやりました。例外は高校2年の冬から1年間の受験期間です。それが大学の学部時代もです。その反省から大学院1年の4月のある日に、私の趣味を封印しました。好きだった小説も音楽も映画(これは出張中の移動期間は許しました)も全てです。そして、起きている時間の多くは研究に費やしました。1日13時間は本を読み、論文・本を書きました。それが膨大な業績の理由です。

 3年前のある日、その封印を少し緩めました。すると、40年間封印していましたが、素晴らしい世界が広がっていることを思い出しました。強欲ですが、仮に90歳まで生きたとします。だったらあと35年ぐらいです。しかし、私が楽しみたいコンテンツ(もちろん家族との時間は別として)を楽しみきれないのです。こうかくと定年まで激務の方からはお叱りを受けるかもしれませんが、『学び合い』で運営している職場、ゼミに関して、本当に時間的には楽に、最高のパフォーマンスで運営できます。ま、出来ない人には分からないでしょうけど。不遜ですが、「私の退職後、どうするの?」に対して反論できる管理職・事務職はいません(教員は分かりませんから)。

 ということで、ずっと気楽に生きています。この延長上に私の死が繋がります。