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熟成

 おそらく、私立高校の部活で数十年顧問をした人だったら、チームはワインのように感じるのではないかと思います。若い頃は何かに特化し、尖っている。しかし、徐々に力が抜け美味しさとは何かを理解すると無駄なところがそぎ落とされる。

 私にとっては、西川ゼミは40年弱の熟成ワインです。

 若い頃の私は、今の私のゼミ集団に対するスタンスは理解不能ですよね。

 多くの教師は、一人一人を理解すべきだと思っています。そして、それに対する対応を柔軟にやるべきだと思っています。

 今の私は、そんなの無理だと思っています。

 赤の他人、それも数十年年齢が離れ、接する時間は限られている。それで理解できるわけ無い。愛し合って結婚して30年たっている家内の本当が分からない私が出来るわけない。世の人たちは伴侶をそんなに理解しているのですか?

 仮に100歩、1000歩譲ったとして、30人の多様な欲求に対応できますか?無理です。私は高校教師だったとき、全員に声をかけることを自分に課しました。結果、「よお」レベルでも大変だった。子どもの実態に対応できるという思い込みの人は、「子ども」がいると思っているのでしょう。でも、子どもという子どもは一人もいません。

 と分かっている私は無理と思っています。

 そんなの責任放棄だと多くの人は思っています。でも、私は教師の仕事は一人一人に寄り添うことではなく、集団に寄り添うことだと思っています。過去の書き込みを読めば分かりますが、私は基本的に個人的エピソードに興味が無い。

 本日、珍しく、ゼミ生全体に語りました。その時、状況を知りたいとは思いませんでした。解決策は何かを考えませんでした。ただ、状況を淡々と語り、どうするかを任せました。私は解決できないことはハッキリとしています。仮に解決できるとしたら、ゼミ集団であることを疑いません。仮に解決できなくても、それはしかたのないことだと思っています。だって、私の力は限定的ですから。

 こんなことを書くと、『学び合い』は丸投げと批判されますね。『学び合い』実践者の中からも。でもね、他力本願は悪い意味で言われることはありますが、歎異抄を読めば、自力本願を徹底的に追求した結果、本願他力の意味が見えるのです。

 教師のすべきことは、解決することではありません。現状を語り、解決する意味を語り、任せることです。

 これって授業論レベルの『学び合い』では難しいですね。解決できるものもありますが、一定以上のレベルを超えるとリードする子どもが無理と思います。何故って、自分以外も分かるとは思えないからです。それを分かると思えるような集団を創るのが教師の本当の力量です。

 ま、ゼミ生以外、体感的には分からないよね。