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本願他力

 優しいゼミ生達は、私の所属する組織における学生さん達の批判的意見を聞き流し、私に伝えません。簡単に言えば、『学び合い』は丸投げだという批判です。私は基本的な学術研究に基づくエビデンスは講義で伝えたのですが、人は、自分の枠組みで理解するのですから、分からない人は分からないのです。

 確かに『学び合い』は丸投げと思うのが普通であることは理解しています。30年前の私もそう思うでしょう。徹底的に一人一人の子どもに寄り添い、その子どもに対応した適切な指導をするのが教師の仕事だと思う人が大多数でしょう。

 しかし、そりゃ無理だ、というのが私の学術研究の結果です。でも、無理だと思うこと自体が許されざる丸投げと思うのは、それが出来る、出来ないではなく、教師の仕事だと思う人の思考です。

 かつて『学び合い』を実践している人の学校にお邪魔したとき、その人の先輩教師(とても良い先生)と話したときがあります。その方は、『学び合い』に懐疑的でした。そこで、『学び合い』の方が人間関係づくりに有効であり、成績向上に有効である事を学術データで説明しました。そして、納得して貰えました。しかし、『学び合い』は丸投げだとおっしゃるのです。そこで、人間関係づくりにも劣るし、成績向上にも劣るのに、一斉指導をすべきなのですか?と聞くと、間髪入れず、すべきだと言われました。ビックリして、何故ですか?と聞くと、教師の仕事だからとおっしゃるのです。脱力して、ニコニコして引き下がりました。

 医者の仕事は何ですか?注射を打つこと、聴診器で心音を聞くことですか?違います。病を治すことです。注射を打たず、心音を聞くこと無く、それだから病を治すことが出来るならば、そうすべきななのです。が、その人には分からないと思い、何も言いませんでした。

 これは歎異抄を思い起こします。

 他力本願は否定的に思うのが普通です。しかし、歎異抄では、自力本願とは阿弥陀仏の本願を信じられないからだと述べています。この感覚は私には分かります。所詮、くだらない私に何が出来るだろうか?と自問します。自分より知識・経験は少なくとも、1日24間という時間のアドバンテージは集団は勝っています。私より、情報収集能力は勝っています。ということで、集団を信じているのです。自分より阿弥陀仏の方が凄いと確信していると同じです。じゃあ、解決できるか?分かりません。しかし、私よりは「まし」ということは微動だもしません。

 『学び合い』において、このレベルになれるだろうか?

 解決策は考えません。失敗しても落ち込みません。子ども達を素人はしません。

 解決することがメリットであることを語り、それを納得させる自らの経験を語ることが『学び合い』の最終形の教師の姿だと思います。

 これが徹底しているから、西川ゼミがなりなっているのです。

追伸 本日、他大学から入学したあるゼミ生が就職できたことを指摘して、本学に入学して良かったでしょ?と言いました。そのゼミ生は、西川ゼミに所属できたことを良かったと言いました。私は「だから、呼吸ができるよね」と言うと。笑って頷きました。私はゼミ生を救うことは出来ません。救えるとしたら、ゼミ集団です。