宝塚歌劇団での自殺とハラスメントの報道で、遺族側と歌劇団側の主張の違いを見ながら、そうだよな、と思います。
ゼミ生に言います。ハラスメントを行動で定義することは出来ない。誰の行動であるかで決まると言います。法的にはどうか分かりませんが、そうです。
私とゼミ生とのやりとりは、公開(https://www.youtube.com/@TheNishikawalab )しています。まあ、ハラスメントの嵐です。私の暴言、学生をスリッパでたたくなど。でも、みんな爆笑していますし、逃げられる環境です。非難されるかもしれませんが、当人、ゼミ生が受け入れているのです。嫌だったら、研究室をいつでも異動できます。で、我が研究室は異動を受け入れている研究室なのです。
宝塚はおそらく「自分がスターになる」を動機付けにしているのでしょう。しかし、それでは競争的関係しか出来ません。「夢の世界を実現する」だったら、協同的に出来る。ただし、それを実現する管理職があればね。
追伸 我がゼミの中には、私からパワハラと認定する行動を毎日うける学生がいます(他にもいっぱいいますが)。私は学生達を愛しているということは自信があります。しかし、仮にパワハラと訴えられたら、甘んじます。しかし、私を守る学生が多いことを疑いません。でも、そのようなことが起こったら、私は教師として駄目だと言うことです。
学術研究・実践研究の果てに到達したのは「心」は伝わると言うことです。抽象的ですが。私は確信しています。だから、安心しています。
追伸2 ちなみに、客観的事実からいえば、私こそゼミ生のハラスメントの被害者だとも言えます。