最近、退職後の私の立ち居振る舞いに関して、冷たいと思われるような投稿が続いています。ですので、本日はその真意を聞かれる質問をゼミ生から聞かれました。幸い、ゼミ生は私なりの考えがある事を前提に聞いてくれました。
しばらくすれば、YouTubeにアップされます(https://www.youtube.com/@TheNishikawalab)が、根幹を申します。
ようは、私は得られるものと、失うものを冷静に計算しているのです。それも、今後の人生で続けられないものは、最初からしないのです。
私は、私に賭けてくれる人には時間をかけて関わります。また、SNSでの関わり程度ならば、それが1回程度ならば誠意ある対応をします。しかし、賭けもしないで、私に関わろうとする人とは関わりたくない。ようは、私を安く思っているのです。私の有限の時間とエネルギーを費やすべきは、家族ですから。
そのゼミ生は、「多様で多数のつながりと矛盾するのでは?」と聞きました。私は、「私ほど、多様で多数の繋がりを持っている人がどれほどいる?」と聞きました。人との繋がりにはエネルギーがいります。しかし、エネルギーのいらない人ととの関わりは切りません。
あるゼミ生からは、「西川先生の家に行ったら?」と聞かれましたが、声を荒げて「帰れ」と言うと言いました。子どもを連れたOB/OGが、子どもを前面でだしたらと聞きました?私は、やさしく「帰りなさい」と言うと思うよといいました。大学でお客様と会うときは基本無料です。しかし、我が家に押しかけられたら、家内に迷惑をかける。それは絶対に嫌です。だから、感情的にでも拒否します。ようは、私のためだと思い込んでいますが、徹頭徹尾、自分の利害を私に押しつけているのです。それが恩ある人に対する態度ではありません。
人と関わることには時間とお金がかかります。だから、それに見合わない人とは退職後には関わりません。でも、SNSには発信しますが、全員に出来る範囲のことをするだけです。
ゼミ生が分からないので、申しました。我が同僚には30年以来の関係があり、同僚である教え子がいます。しかし、プライベートで呑んだことは一度もありません。学会や職場の飲み会ではありますが。私は彼らの友達ではない。これは青春ドラマ的には冷たい教師でしょう。しかし、私がしたのは、彼らが一分一秒も早く教授に昇任することです。仲良く呑むことと人事を考えること、どちらが大切ですか?
聞かれたゼミ生は私の考え方は極端であると言われました。その通りです。極端です。しかし、私の方針が間違っていると論理的に言えるでしょうか?言えません。論理的には正しいのです。ただし、それを選ぶか、否かはゼミ生の自由です。
しかし、ゼミ生の質問は「西川先生は・・」という形式が多い。
ま、そのやりとりはYouTubeにアップされるでしょう。
追伸 いいのです。教え子の多くは、私みたいにならなくても。