本日、ゼミ生と昼飯を食べているとき、「もやもやしている」と言われました。聞くと、「『学び合い』に関してどのように表現するべきかで様々な表現があるが、日頃の西川先生の姿に置き換えると納得がいかない」という内容でした。以下、その後の会話です。
私:「分かる」って何?
ゼミ生:分かりません。
私:そう、教育の世界でしっかりとした定義があるのは知能指数ぐらい。あれば、内田・ビネー式という操作的定義があるから。大事なのは、その言葉を使っている人が、どれだけ明確に定義できるかだよ。大抵の場合。フィーリング。それを否定しない。それも大事。でもね。普遍性を願うならば、実証的データ。それがあるから、『学び合い』は普遍性がある。
私:何度もゼミで語ったけど、不立文字。ようはね、根幹は言葉では伝えられない。その言葉を発する人の言動を中長期にわたって観察することによって分かる。
別なゼミ生:じゃあ、本は読まなくて良いのですね。
私:(大爆笑)言葉は単位時間当たりに伝えられるものが多い。だから、読むべきだ。ようは、それで全ては伝えられないということ。
一斉指導に比べて、『学び合い』は楽です。でもね、生き方の『学び合い』に至れば、本当に楽ですよ。この感覚は、今のゼミ生は分かる。だから、教材の与え方や発問や声がけを悩まない。その代わりに、これからの社会のように、自分が幸せになるための経済学・経営学・人口学・生物学の知識を深めているのです。それをゼミ生は探っています。
追伸 我が今のゼミは私がいかに幸せで楽かを知っています。私は見え方によっては、怖い人、もしくは偉い人です。が、ゼミ生の感覚は違います。おそらく、最も言い関係の担任です。わからんだろうな~。西川ゼミに入らないと。