授業レベルの『学び合い』と生き方レベルの『学び合い』の違いは、「自分と自分の家族の幸せが最上位で、多様で多数の人の折り合いはツール」と「経済的自由の獲得」の二つのことを子ども達に語るか語らないかだな。
前者は『学び合い』の生き方が、自分と自分の家族の幸せに繋がることを語り、自分の幸せを「見せびらかす」こと。
後者は経済的自由を獲得するために、投資はもちろん、保険、相続、節税、ポイ活等を語り、自分の経済的自由を「みせびらかす」こと。
そうなると「西川先生は」で始まる問答になります。
従来授業型の実践者から授業レベルの『学び合い』の人は「丸投げ」、「何もしない」、「教師としておかしい」と言われました。同じように授業レベルの『学び合い』の人から生き方レベルの『学び合い』の人は「丸投げ」、「何もしない」、「教師としておかしい」と言われるだろう。でも、従来授業型より授業レベルの『学び合い』が圧倒的に高いパフォーマンスを上げられるのと同様に、『学び合い』レベルの『学び合い』より生き方レベルの『学び合い』の方が倒的に高いパフォーマンスを上げられる。
私の好きな言葉の一つにドラッカーの「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。」という言葉があります。自ら開発、発展させたからこそ、それの限界を一番先に見いだせます。だから、最初に陳腐化することが出来るのです。40年間、子ども達から教えてもらえ続けた結果です。
よくぞ、ここまで来たと思います。参照するリッカートやドラッカーも、このレベルの記述を見いだせない。