修了したゼミ生が遊びに来ました。「相談したいことない?」と聞くと、質問しました。しかし、そのレベルの低さにあきれました。しかし、ゼミ生として対話し続けた彼らです。彼らがどこに引っかかるのかを気になりました。そして分かりました。
質問の一つは、クラスのある子が大声を出して話すため、話が聞き取れないとクレームを受けたのです。どう対応するべきかを質問したのです。
耳にたこができるほど語った「教師にはその子、その事を変える力は無い。教師に出来るのはその子、その事を変える集団づくり。そのポイントはリードする2割弱の子どもをどう動かすか」ということは身についているので、大声を出す子どもに注意することは無意味だと言うことは理解しています。しかし、リードする2割弱をどう動かすかが分からないのです。
そこで、「おまえはどうやって動かそうか、方法を探っているな。ちがうよ、教師は解決方法を考えてはいけない。根拠俺レベルで思いつく方法を考えると、それを子どもに強いる。でも、それが正解とは限らない。方法を考えるのは子ども達だ。子ども達がトライアンドエラーの中で正解を探り出す。じゃあ、何をすべきか。それは子ども達が解決すべきだと思わせる。」と言いました。しかし、彼の頭に思いつくのは、大声によって迷惑していることを語るレベルです。だから、「だめだよ。大声を出す子、それで迷惑を受けている子どものレベルで語れば、リードする2割弱の子どもは動かない。何故なら、自分とは無関係だから。だから、その子を動かす語りが必要だ」と言えば、「どう言えばいいのですか」と聞きます。
おそらく、彼にとって、この段階が一番難しいのでしょう。
そこで「何故大声を出すかを考えよう。満員電車の中は色々な音があるが、眠れる。しかし、田舎のおばちゃん集団が入ると、途端にうるさくなる。何故か?満員電車では、周りの人を意識し、ホワイトノイズに埋没する声の大きさと音程で喋る。だから気にならない。ところが田舎のおばちゃん集団は自分たち以外を意識しない。だから、ホワイトノイズとかけ離れた声の大きさと音程で喋る。だからうるさい。つまり、うるさいのはクラス集団の中にいないからだ。ただし、ここで話を終わらせると、うるさい子どもの問題になってしまう。だから、何故、うるさい子どもをそのままにしていたのかを問いなさい。そして、今後の社会において、今、『学び合い』をしている意義を語りなさい」と語りました。
問題が起こると、そこに意識が向いてしまいがちです。しかし、『学び合い』では、その問題を空間的に時間的にも拡張する必要があります。しかし、それが流れるように思考するためには、教師用図書を読むだけではだめで、今後の社会、人の関係に関わる心理学や『学び合い』の学術データの知識が必要です。おそらく、彼らに足りないのは、今後の社会に関するモデル、そして、それを強固にする理論とデータだと思います。そういえば、彼らの机の上には、その手の本がなかったな~っと思いました。
追伸 本日来たOBへ おい、おまえら、どんな本を読めば良いかは知っているはずだよ。