ゼミ生とは毎週、問答をします。それが生き方レベルの『学び合い』の基礎ですから。
色々と出ましたが、3つ紹介します。そのうち2つはネットで公開されるでしょう。
第一は、災害のことを考えると、自分の両親に何をアドバイスしたらいいかということです。
今からきついことを言うよと前置きをした上で、以下のようなことを言いました。
能登半島地震で被災された高齢者の悲痛な姿はかわいそうと思う。しかし、同時に、自業自得とも思える。被災地の様子を見ていると、全ての家屋が倒壊しているわけではなく、ちゃんとしている家屋もある。つまり、耐震対応をすれば問題はなかったのではないか?松山の土石流をみていると、「そりゃ、そうなるよな」というところに家がある。するべきことをしなかった結果なのだから、受け入れるしかない。もちろん、高齢の方々を責めることが目的ではない。現在、50歳以下の人が家族を守るべきことをすべきことを強く伝えたいためのレトリックだ。
そして、すんでいる地域のハザードマップを見ることを勧めました。
次に、ある研修会に参加したゼミ生が、その研修会に参加している人が若い人ばかりであることを驚いたのです。越後『学び合い』の会の場合は、年齢が多種多様だからです。それに対して以下のように語りました。
若い教師はカリスマ教師の講座に参加すれば自分がカリスマ教師になれると思っています。そういう会は若い教師が集まる。しかし、そんなのでカリスマ教師にはなれないことは中堅、ベテラン教師は知っている。中堅、ベテラン教師はカリスマではなく、自分を一歩進ませたい。だから、参加者が偏らない。
でも、一番面白かったのは評価に関してです。
私は評価に関してテストの点数の分布で評価できると書いています。ところが、私はそのような評価はしません。だから、西川先生は評価していなのですか、と質問を受けたのです。大爆笑しました。
評価しなくてうまくいくわけない。テストの点数分布の話をするのは『学び合い』初心者用の話だ。でも、『学び合い』が分かったらそんなことは必要ない。見ればいい。
納得いかない表情なので、分かりやすい見方の例を羅列しました。そうしたら、黙りました。
しばらく、「俺は評価していないと思ったの?お前は2年半俺と付き合ったのに。俺って凄いね、本当になのもしていないと思わせているだから」とからかいました。
その後、以下のように語りました。
子ども達の幸せを願えば、必ず見る。その姿をリードする子どもは見ている。
俺は「お前らの友達ではない」、「お前らがどうなろうと、俺の幸せは微動だにしない」、「退職後はお前らには会わない」と言っています。どう考えても、最低・最悪な教師だよね。しかし、私を正しく評価してくれると信じているから、本心を言える。
ようはね、どのように見取るかではなく、子ども達の幸せを、どれだけ願えるかが勝負だよ。
生き方レベルの『学び合い』です。