学部と違って大学院の場合は修了まで担当できない教員のゼミに所属できます。退職前の今年に4名の学生が、1年間所属するために西川ゼミを選びました。彼らの年齢では私には出来ない選択です。だから4月、5月ごろは切迫感がありました。
しかし、西川研究室という集団の中に入り、馴染みます。そうすると切迫感がなくなります。切迫する場面はありますが、自分一人で背負わなければならないという感覚がなくなるのですから。
ゼミ生にとって、私の重要性は相対的に下がります。ある意味「雑」になります。まあ、いいのです。彼らが西川ゼミの文化に浸っている証拠ですから。
でもね。
私と短時間話すために、お金と時間を費やす人は少なくない。特に今年は。
ゼミ生も来年度に気づくでしょう。今の当たり前が、当たり前でないことを。でも、「当たり前」の次元の高さは、西川ゼミを経験した最大のメリットです。もの凄く上手くいっているのに、私の存在が見えない。でも、私の存在が必須と感じる。まあ、いい校長の職場はそうなんでしょうけど。ただ、西川研究室レベルの集団を形成できる校長は0.5%以下でしょう。つまり下手すれば、当たりが皆無の人もいます。
まあ、現ゼミ生には「当たり」の3ヶ月半を与えたい。
追伸 それを考えなくてもいいのが退職後です。