工業化社会のコードの一つが中央集権化です。ところが、現在の法規では校長に多くの権限が与えられています。が、ハッキリ言って、校長にも当たり外れがあります。だから教育委員会がコントロールして、最低限を保証したいと思うのは当然です。では、どうするか?校長の任期を3年以下にするのです。
校長が新任校に異動したとき、初年は様子見です。前任者の路線で動きます。その中で、学校の抱える問題を認識、使える教員は誰かを見極めます。2年目に、使える教員を中心に格好改革に取り組みます。が、反対勢力、つまり何もしたくないという当然の要望を持つ人の反発を食らいます。しかし、改革に賛成する人が増えて、3年目に改革が軌道に乗ります。が、次の年に異動です。
ということで、改革したい校長の意図は潰されます。逆に言えば、はずれの校長の害毒も最大3年なのです。
さて、私の情報発信を受信している人は、改革をしたい人です。その中の校長は、せめて5年与えてくれたら、と思っているでしょうね。でも、本質は違います。
西川研究室は2年が基本です。大学院に入って西川研究室に所属して修了するまで2年です。学部3年で西川研究室に所属して卒業するまで2年です。もちろん、学部から大学院という4年もいますが、少数派です。でも、最初は私の言っていることが分かりません。それは『学び合い』を実践して、その良さを分かって所属する現職教員も同じです。面白い授業、わかりやすい授業の先というのは現職教員でも分からない。でも、西川ゼミに入れば分かります。なぜなら、分かっている集団の中に入り、その集団の当たり前を感じると分かるのです。
だから、本当の改革をしたいならば、校長の人事権を拡大すべきです。正確に言えば、「あの校長の学校に異動したい」ということを認めればいいのです。そうすれば学校改革をしたい校長のもとに、それを分かる教員が集まるのです。
でも、それが出来る校長は、教諭の時から種をまかねばなりません。その語る言葉にヴィジョンがなければならないのです。主任の時も、教頭の時も。もちろん、そんなことを出来る人はヴィジョンがなければいけない。
大変ですよね。でも、校長になるまで自分の願いを封印するより、いいと思いませんか?教頭の時、主任の時、教諭の時、憧れる校長、教頭、主任と語り合い、自分を引っ張ってもらえるのようにすればいいのです。
上越教育大学の教科教育・学校経営実践コース、学校教育実験コースではそれをやっています。学生が教員を選べるのです。そして、研究室を異動する権利を持っています。私はそのような環境で三十年以上います。それでいいのです。ただし、ゼミ生が多い、少ないで良い/悪いでないことをスタッフは了解しています。逆に、今の学校のように選べない、異動できない状態だったら悪夢になります。
校長も教諭も個別最適化すべきです。流動的な関係の中で最適値が定まります。
ただし、これを活用する管理職は16%です。あとの84%は活用しません。でもいいのです。いまのままがいい、が大多数の方がいいのです。でも、変わりゆく、種を集団の中に包含しなければ、種として緩慢に死ぬことになります。
ま、絶対に工業化社会の組織では受け入れないと思いますが。
だから、みなさん、したたかになってください。