■ [報告]教科教育学会の成果
教科教育学会(愛知教育大学)に参加してきました。全体的な印象は、「まだまだ分かってもらっていないな~」というものです。また、表題を「学び合い」とはせず、「学習者相互作用」とでもカッチョイイ題目にすべきだったかな~と感じました。でも、3つの成果がありました。時間順に言うと以下の通りです。
第一に、院生さんとじっくりと、また、連続して飲み会をやったことをあげられます。とにかく話題豊富で、多彩な方々です。酒席で話される話は爆笑ものです。機関銃、50インチ砲、果ては戦術核兵器・戦略核兵器なみの馬鹿話が雨霰(あめあられ)のように降り注ぐのですから、笑うだけで疲れてしまいます。
第二は、兵庫教育大学のM先生の完全復活を知ることが出来ました。兵庫教育大学は本学と兄弟校で、現職院生さんが中心であるという共通点があります。さらに、理科教育という共通点もあったので、似ている研究室です。学会では、自ら「ツアーコンダクター」と自称するほど、現職院生さんの集団を引き連れ参加されました。また、我々と同じに、旧理科コースから新コースに移ったというところまで同じです。新コースに移られてから、院生さんが少なくなったようで、寂しいな~と影ながら思っていました。ところが、今、学会では理科という教科を離れて、多様な面から研究を進めている院生さんと一緒に参加されていました。とっても、嬉しく思いました。
第三は、私が座長の時に隣に座った計時係の愛知教育大学の院生さんと話したことです。意外にも、我々の研究と似通った点があったので、色々話しました。私が名刺を渡すと、なななんと院生さんなのに名刺をお持ちでした。「この名刺をもって刈谷(愛知教育大学の近くの町)の飲み屋で悪いことしようかな。そうしたら、明日あたりに、その筋の人が怒鳴り込んだりして・・へへへ」と馬鹿話をしました。そうすると、「私は逃げます」と言われたので、「僕は明日になったら新潟に逃げられるけど、君は修了するまで駄目だよね~」と言いました。「勘弁してくださいよ~」と院生さんが言って終わりました。若い学生さんと話すことは楽しいです。
■ [大事なこと]人というシステム
我らがMさんが発表するのを応援するつもりで、教育工学会に参加しました。Mさんの前に発表した方々の話を聞き、また、Mさんに対する質問される方の話を聞きながら、やっぱりズレを感じました。私が感じたズレとは人というシステムに対する評価です。簡単に言えば、人間を愚かなシステムのように考えているように感じます。そのため、末期医療のように、何から何まで機械で何とかしようとします。また、操作に関しても、どんな人間でも、まったく努力なしに使えるようにと考えるようです。でも本当は、人間はとても賢いシステムです。さらに、何でもかんでも機械にやらせようとすれば、その賢さを阻害する危険性があります。むしろ、その賢いシステムが、操作を覚えたいと感じさせる方が有効と思います。
また、人間は脆弱なシステムのように考えているように感じます。例えば、我々の研究室は子どもたちの学び合いによって成立するシステムです。それに対して、「そのような集団は脆弱で、教師の声がけ一つで変わる」という意見を持たれる方がいました。しかし、個人は短期において脆弱であっても、長期においては自己修正を行う能力を持っています。また、集団となると、互いに補完し、修正しあう能力を持っています。だからこそ、それぞれの国の持つ文化は、数世紀にわたる他文化の圧政を受けても生き残ることが可能です。従って、重要なのは学習集団において一つの文化を創り上げることだと思います。
前に書いたと思いますが、現状において人間ほど優れたパターン認識と総合的判断能力(一般にはカンとよばれています)と学習能力を備えた機械は皆無です。近い将来、人間を上回る機械が作製さえる可能性は低いと思います。少なくと、重さ100kg以下で、実現することはまず無理だと思います。だって、人間は数十億年かけた成果なんですから。その人間様を馬鹿扱いして、機械で何とかしようなんて「100年どころか30億年早い!」と思います。
教育工学は機械ではなく、人間をシステムの中心において学習環境をシステム化する方が実り多いように思います。不遜ですが。でも、発表の中には、機械やプログラムではなく子どもに着目する発表もありました。その中の若い学卒院生さんと話す機会を持ちました。うかがうと、来年から小学校の先生になられるとのことでした。発表では収集データの一つとして子どもたちの姿を含んでいる段階でした。しかし、教師となろうという温かい目で子どもたちを見つめていれば、きっと我々と同じ結論に達すると信じています。
■ [頑張る]教師の役割
私が院生だった頃、現職派遣の院生さんから聞いた話です。その方によれば、その方のお子様は、何かというと「先生が言ったんだ」を連発したそうです。ある時、その院生さんが、担任の先生の言ったことと違う意見を言ったら、お子様が「先生が言ったんだから」といって納得しなかったそうです。そこで、その方は、「俺も先生なんだ!」と言ったんですが、納得してもらえなかったそうです。お子さんをお持ちの先生の家庭では、同様なことがあると思います。
昨日の夜、ふと、その事を思い出しました。「なんで子どもは教師に従うのか」ということを考えました。第一は、自分が属する群れ(即ち、クラス集団)のボスだからです。父親は教師であっても、自分の属するクラス集団のボスではありません。そのため従わなかったのだと思います。即ち、「先生が言ったんだ」という子どもの言葉は、「ボスが言ったんだ」の意味だと思います。このことは前から意識したことです。しかし、もう一つの理由があるように思います。
第二は、教師という窓を通して、社会に承認されることを望んでいるのではないかな、と気づきました。昨日は教育工学会に参加し、Mさんの発表を聞きました。その際、「俺が今ここにいることの意味は何だろう」と考えました。発表はMさんがやります。私がいようと、いまいと関係ありません。強いてやったことといえば、Mさんの発表を聞いて、最後ににこっと笑っただけです。何故だろうと考えてしまいました。そこで自分に置き換えてみて分かりました。
自分が理科教育学の世界に入って、それに関連する論文を集中的に読んでみると、極めて大きな穴があることに気づきました。それは、データ収集の方法と、分析の方法です。でも、学部卒上がりの私には自信がありませんでした。だって、その当時は大学の先生は別世界のスーパーマンのように思えたため、自分のような学生がスーパーマンのミスに気づくわけはないと思いました。しかし、指導教官の小林先生は、私の視点が認めてくれました。さらに、修士論文の成果を学会誌に投稿することを勧めてくれました。それも二つの学会に。少なくとも私の過去においても、また、その後においても、修士論文が学会誌に掲載されることは希です。ましてや複数の学会に掲載されることは、極めて希です。そんな恐れ多いことが出来たのは、小林先生が認めてくれたからです。それでは、何故、小林先生が認めてくれたことで私が安心したのかと言えば、小林先生が大学の先生であったためです。さらに、その当時の学会誌は大御所といわれる5、6人の大先生によって掲載の可否が判断されていました。小林先生は、その大御所の一人でした。投稿した別の学会とは小林先生は関係が薄いですが、少なくとも一つの学会で大御所と認められている先生に認められたので、大胆にも投稿することが出来ました。
つまり、当時の私にとって全体がつかみきれないけど、属したいと思っていた学会の考えを、知る手がかりが小林先生だったわけです。しかし、もう一度わたしに戻して置き換えると、心細いものがあります。当時の小林先生に比べ私は「駆け出し」にすぎません。院生さんに安心感を与えられるような教師になるよう頑張らねばならないと思いました。