■ [大事なこと]先生(^ー^)/
本日、臨採でがんばっていたOBのMちゃんから「先生(^ー^)/」がきました。最近、良いことが続きます。
お久しぶりですが、お元気でしょうか?
嬉しいです。いろんなことがあったけれど、こうやって自分が先生になりたい気持ちを確認するためには必要な時間だったと今は思えます。本当にわたしが先生なのかと思うと恥ずかしい気持ちもありますが、今は、嬉しいのでいっぱいです。また、現在勤めている学校の先生や友達、恩師・両親などたくさんの人が、私の合格を喜んでくれたことが私は嬉しかったです。「あーこんなにたくさんの人が応援してくれてたんだなあ」と改めて思い知りました。雑踏の中で、ついつい自分だけががんばっているような狭い気持ちになってしまいがちですが、この日のことはきっと一生忘れないと思いました。また、現在、小学校では、少人数指導がはやっていて、私も4・5・6年の算数で実施しています。ただ、今は、これでいいのかなーという疑問でいっぱいです。少人数がいいと思っていたけれど、それだけではだめだなあーと思っています。授業のことについて、わからないこと、不安なことを上げればきりがないのですが、最近嬉しかったことがあります。4年生の算数の授業でのことです。
私 :「なんで?」
子ども:「だって、あんまり怒らないし、よくわからんけど、先生っぽくないわ」
私 :「そうかなー」
私 :「うーん。けど、先生が怒らなくても、みんなが気づいてくれるやろ?」
こども:「まあなあ。」
こういう会話を最近、よくします。私が、しっかり子どもをしかれなくて、甘いのもだめだと思っていますが、先生=怒り役というイメージが子どもにはあるんだなあと発見しました。私ももっとちゃんと注意できるようになりたいですが、先生っぽくないといわれたことが、ちょっと嬉しかったです。そして、授業中に「静かにしなさい!」「そこ、座りなさい!」といいたいのをじっとこらえて、黙ってみていると、周りの子が、ちゃんと注意してくれることがあります。でも、ついつい「ちょっと座りなさい!」といってしまい、反省の毎日です。教師というのは、本当に教えたがるなあと思っています。西川先生のメモを読みながら、自分は学び合いを進めていないのではないかと反省しっぱなしです・・・
でも、子どもをよく観察することは、ずっと忘れないでいようと思っています。先生に聞きたいことはいっぱいありますが長々となってしまうので、今日はこの辺にしておきます。また、いろいろ教えてください。
私の返信は以下の通りです。
万歳!万歳! ○県の人事担当者の目は節穴ではなかったね。
本日のワンポイントアドバイス。 子どもがうるさかったときの4つの方法。
下策 顔を無表情にして、しばらく黙る。 私が100人授業の初期の段階にやる、あの方法です。 でも、この方法は子どもとの契約が全くなされていない段階で、しかたなくやる「テクニック」に頼る方法です。
中策:騒いでいる子どもを叱るのではなく、「この状態が君たちの勉強にとっていいことなのか考えてみよう」というように全体に問いかける(もしくはつぶやく)。 契約はなされているが、その契約の意味が薄れている(意味が分からなくなっている)段階の方法です。
上策:院生さんや、学生さんに私がよく言う「がんばらなくっていいんだよ。遊んで、寝坊して、何してもいいんだよ。(間)結果さえ出せればね。(ニコっと笑顔)」というやつです。 契約がなされ、その意味を学習者がよく分かっている段階の方法です。 授業の目的は、静かにすることではありません。 学習という目的があるはずです。 その目的がなされていることを、「私」は見ているよ、と本人との契約を再確認する方法です。
超上策:騒いでいようが、遊んでいようが、気にしない。 むしろ、そうしていることが意味あることだということを、教師集団に説得・可視化することにエネルギーを費やす。 私は院生さん、学生さんたちを信じ、ゴチャゴチャ言いませんよね。 でも、うちの研究室の修士論文、卒業論文は、学会誌や書籍にバンバン出るレベルを維持しています。 契約がなされ、その意味を学習者がよく分かっていて、そして、そのことを教授者が分かっている段階です。
Mちゃんは、今どの段階ですか? 「信じる」と「放任」の違いをちゃんと心にとめて、子どもを「信じて」下さいね。
追伸 ちなみにMちゃんはしないだろうと思ったので省略した、「超下策」というのがあります。それは、「うるさい!」と怒鳴る方法です。その方法で静かになるとしたら、「下策」でも十分に静かになりますし、そうでない場合は、陰に隠れてもっと悪さをするか、もっとうるさくなります。
■ [報告]時間オーバー
昨日は群馬県の教育センターで講演してきました。私は講演において少なくとも二つのルールを課しています。第一は、マイクを使わない。第二は、時間を守る。
私が大学時代の講義で、マイクを使ってボソボソ言う教官が大嫌いでした。そして、高校教師時代、私語の嵐の中で地声で勝負した自負もあります。そのため、意地でもマイクを使わないようにしています。今回は百数十人相手の講演ですが、今回もこのルールは守りました。
結婚式のスピーチが典型的ですが、長い話に意味があるためしはありません。講演会・学会発表も同じです。話が長くなるのは、話の構成を考えていない、その会全体の構成を考えていない、つまり、自己モニターが働いていないことを意味します。そのため、時間ぴったりになるようにしています。ところが、応対に出た3人の指導主事の先生が、「先生の講演時間は2時間ですが、それ以上に伸びでも結構です。10分でも、20分でも、出来るだけ先生の話を聞いて貰いたいと思います。」と別々な場面で、独立に、繰り返しおっしゃいました。有り難いお申し出ですが、聞いている人にとってはその10分、20分が苦痛になるのでは・・と迷いました。
講演の参加者の年齢はバラバラでしたが、反応は極めて良かったです。とにかく、いつもは笑ってもらえない小ネタのところも、しっかり笑ってもらえました。そうなると一気呵成に話せます。さらに、話も膨らましてしまいます。後半になると、説明不足だな~と思いながらも、「興味のある人は本を買って読んでもらえばいいから・・」という言い訳のもとに、どんどん話しました。結果として、「はっと」気づくと10分オーバーです。結果として、指導主事の方のご要望に応えたことになるのですが・・。でも、自己モニターが弱くなったのかもしれません。でも、寝ている人はいませんでしたし、すくなくとも私自身は気分良く2時間強を話せました。