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2004-02-05

[]影と本体 17:09 影と本体 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 影と本体 - 西川純のメモ 影と本体 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、本の原稿を3つ平行してやっています。一つは、「何故理科は難しいと言われるのか?」の続編で、「何故、理科を学ぶのか?」(仮)です。理科を主な題材とはしていますが、おそらく他教科でも同じだと思います。内容は、一般に流布している教科教育目標を一つ一つ潰して、別な視点で目標を捉え直そうというものです。もう一つは、「学び合う学校」(仮)で異学年学習を中心にまとめています。本当は、もう既に出す予定だったのですが、Ymさんの昨年の研究を含めれば、異学年学習のおおよその概要が出せる予定なので、それを待っています(Ymさん読んでる。あなたの結果をまってるわん)。最後に、「静かにを言わない授業」の続編で、「座りなさいを言わない授業」(仮)です。内容は「立ち歩き」に関してです。しかし、もう一つの大きな願いがあります。それは、我々がやっている実践を教師の側に立って記述するという試みです。

 我々の実践を講演で話すと、喜んでもらえます。でも、「本当かな~」と思われてしまい、実際に実践するまでに行かない方が多いと思います。それがとても残念です。本当は、ある一定レベル以上の先生(おそらく日本の教師の過半数)であれば、考え方を変えてもらえれば直ぐにでも出来ることなんです。一番いい方法は、西川研究室に入って、その集団の中で考え方を変えることです。でも、私はもっと多くの先生方に分かって欲しいと願っています。おそらく、我が研究室研究上の当面の最大の課題です。その試みとして、典型的な授業の様子を最初から、最後まで、そのまま記述する部分を設けています。しかし、以前のメモに書いたように、その中で私が見て欲しいと思う部分と、多くの先生方が着目する部分とには大きな違いがあると思います。それを、どのように説明したらいいのか、頭を悩ましています。

 例えば、我々の実践では、教師はごちゃごちゃ細かいことを言いません。おそらく平常の教師の発言数の十分の1、百分の1程度(それ以下かも)しか発言しません。しかし、「発言しなくても、授業がうまくいく」ではなく、「発言しないからこそ、授業がうまくいく」ということを理解してもらわなければなりません。じゃあ、形だけ真似て「黙ればいいか」というと、それも違います。やはり教師が語らなければならないことは、限られますけど、それが欠けては授業が成立しない部分もあります。となると、何をしゃべり、何を黙るべきなのか、を判断しなければなりません。それをルール化することが非常に難しい。変にルール化してしまうと、本来の姿からかけ離れてしまう。結局は、「子どもは有能である」ということの意味を本当に理解してもらわなければならないんです。「子どもは有能である」という考え方が本体で、授業に現れる教師の言動は影にすぎません。「子どもは有能である」という考えは、あまりにも抽象的で、その意味をどのように捉えるかは多様です。だから、事例を通してしか伝えられません。ところが、事例は影に過ぎません。痛し痒しです。比べるのにはおこがましいですが、仏様が教えを直接説明できないため、たとえ話(方便)で伝えるようなものです。それが、隔靴掻痒で辛い。

 しかし、明るい兆しがあります。今、修士1年を叩きに、叩いています。おそらく、歴代のOBの中で、叩いている期間がもっとも長期間に及んでいるのでは無いかと思います。しかし、私には確信があります。もう少しで、今の私には全く見えないもの、そして知りたくてたまらないものを教えてくれる、そのきざはしに立ってくれます。あとは、Yzさん、Ymさんはフィールドを確保すること、Hは今自分が手にしてるデータの貴重さに気づき、それに没頭できること、それが出来れば、必ず出ます。