■ [嬉しい]マジック
毎年、春先になるとマジックを見ます。
2月中の雪を見ると、「5月連休までは溶けないのでは」と思います。3月中も雪の山はそのままです。ところが、3月の中旬になると状況は一変します。晴れた日が三日も続くと、あれだけあった雪が、あれよあれよというまに消えます。天気予報を見ると「なだれ注意報」が目につくようになりますが、その日は暖かい日だといういう意味です。上越地方のすべての地面に数メートルの雪が積もっています。その量はすごいもんです。それが数日のうちに平地の部分のほとんどで無くなるのですから、すごいマジックです。
一方、家から見える妙高山の雪は、真夏の直前まで残ります。これまたマジックのようです。
■ [親ばか]アスレチック
この前の休日に能生(のう)の道の駅に行きました。そこには子ども用のアスレチックがあります。息子は高いところが苦手なのですが、果敢にトライします。私の肩当たりの高さの段に登ると、怖くて立てません。そこで、一生懸命に声をかけたり、手を貸したりしながら、コースを乗り切りました。び~び~泣きながら回ったので、コースを終わったらやめると思っていました。ところが、すぐにまたコースにトライします。「え?!」と思いましたが、やはり同じところで、び~び~泣きます。そこで、同じように一生懸命に声をかけたり、手を貸しました。でも、さっきよりは、ちょっとだけ手を貸さなくても乗り切れるようになりました。終わったら、先ほどと同じようにコースの最初に走りながら行きます。しかし、同じところで、び~び~泣きます・・・。この繰り返しです。ところが、5回目ぐらいになると、泣かなくなり、手を貸さなくてもよくなりました。最後は、にこにこして回るようになりました。我が子ながら、変化の大きさに目を見張りました。
■ [ゼミ]学部生の研究
西川研究室の特徴である、子どもを徹底的に見るという研究は、2年間フルに現職教員が院生として研究できるという上越教育大学の特質に立脚していることは言うまでもありません。しかし、私は学部生の研究を高く評価しています。事実、我々の考え方の根本のいくつかは、学部生の研究によって明らかにされたものです。
例えば、「学び合いは教えるものではなく、生得的のものである。子どもが自らよりよい方法を見つけるものだ!」という考え方は、EmちゃんのN先生を徹底的に見た研究がきっかけです。また、方法が大事なのではなく、考え方が大事なんだ、ということを教えてくれたのはYの研究です。Yの研究では、我々が有効だと信じていた自己モニターをある先生に実施してもらいました。ところが、効果が全くありません。そこで、その先生の授業をつぶさに分析した結果、自己モニターをやりつつも、それに反する行動をしていることが明らかになりました。そのことから、方法をまねてもだめで、考え方が伴わないと無効だということが分かりました。その後、自己モニターをしなくても、自己モニターと同じような効果が現れることを示す研究の蓄積があり、現在では、教育観の問題だということがはっきりしました。しかし、それを明らかにするきっかけになったのは、Yの研究です。
現職院生さんは力があります。だから、我々の考え方の不備があったとしても、その先生の力によって、押さえることが出来ます。力がある先生ですので、あまりに自然にそうしてしまうため、本人でさえ不備があったことに気づかない場合があります。ところが、学部生の研究の場合、我々の考えの不備が、もろに表出します。その問題を吟味することによって、大きな飛躍があります。
本日、2年生(数週間後には3年生)の卒業研究のアイディアを彼らから聞きました。とても、大胆なテーマばかりです。その研究が、予想の方向で発展したら、すごいことが分かります。でも、その予想が外れたとしたら、その先には大きな飛躍があるはずです。いずれにしてもワクワクします。
■ [大事なこと]一度だけ
本日のゼミで、教師の何気ない一言で子どもたちが変化する事例をあつかった卒業研究を2年生が紹介していました。それを聞いていたYが「一度だけ~?」と驚いていました。そこで、何故、一度だけの発言で子どもたちが変化したかを補足しました。
我々の研究には、今まですごく時間・手間がかかったことが、意図もたやすく実現することを明らかにしています。さらに、そのたやすい方法で、今まで以上の達成度を実現できます。おそらく、それを話しても「嘘だろう~」とか、「たまたま、その場合だけのことだろう」とか思う人もいるでしょう。たしかに、そう思う気持ちも分からんでもありません。でも、そうなる理由があります。その大きなものは二つです。
第一に、我々がやっているのは、子どもたちが知らない・理解できないことを、教え・理解させているわけではありません。我々がやっているのは、子どもたちが知っている・理解できることを、表出させるだけのことです。我々は教室に問題があるのは、何かが足りないのではなく、不必要なものが多いためだと思います。例えば、多くの実践書では「学び合い」を教えようとします。しかし、我々はそんなことしなくても学び合うこと知っています。子どもたちが学び合わないのは、学び合い方を知らないのではなく、学び合うことを教師がじゃましているためであることを知っています。新たなことを理解させるのではないので、至極簡単なことです。
簡単にできる二つめの理由は、方法ではなく考え方だからです。本や論文では、典型的な教師の言動をピックアップします。しかし、子どもは、その言動だけを見て教師を判断しているわけではありません。視線の動き、言葉の間、表情・・・、すべての動きを総合的に見ています。教師の一言は一度だけかもしれませんが、それらの動きは四六時中教師が発し続けています。そのため、教師の細かい動きを詳細に分析する研究もあります。しかし、我々はそういうことはしません。だって、視線の動き、言葉の間、表情・・、それを意識してコントロールできるわけありません。でも、簡単な方法があります。それは、考え方を理解することです。考え方を理解すれば、枝葉末節のことがらは自ずと出来ます。
このことは本にも何度も書いたことで、それを全部、精読している2年生ですが、上記の部分はなかなか分からない部分なのだと思います。しょうがありません。考え方なんですから。これから2年間かけて、我々の中に浸ることによって理解してくれるでしょう。
■ [親ばか]シャイ
幼稚園等では、息子はマイペースな子どもです。その息子を気にかけて、クラスメートの輪の中に引き戻す、世話女房のような同級生がいます。マイペースな息子ですから、いやだと思っているかと思うと、そうでもありません。息子の話の中に、その女の子の名前がちょろちょろ出ます。そして、「○○ちゃん、好き」と聞くと、「にや~」と笑って「好き」と言います。ところが、幼稚園では、その片鱗も見せません。シャイなのだと思います。
小さいときは、いきなり抱き寄せチュ~をして、女の子をビックリさせていましたが、大人になったようです。
■ [ゼミ]最後の学年ゼミ
先週の金曜日にM2が「急ですが、最後の学年ゼミをお願いします」と行ってきました。私は「え!?」と思いましたが、「最後の」という言葉を聞くと、「ぐっ」ときます。
今年の場合は、「もう終わりなんだな~」という気持ちが起こりません。いつもだったら起こる、ピーターパンの気持ちが起こりません。理由は明らかです。今年は忙しすぎます。例年でしたら、修了の段階で、その年の院生さんの研究を投稿論文にまとめ、それをもとにした本の原稿を書き上げています。今年は、後者はまだです。そのため3人の方には「皆さんの研究を世に還元する部分は僕に任せてね、ゲラが出来たら間違いはないかチャックしてもらうから」と言いました。それに、Ymさんはすべてのデータをまとめていません(Ymさん見ている~)。ということで、まだ終わっていないんです。
3人には「ここでの研究はこれで終わりじゃないよね。これからだよね。地元で結果を出してね」といって、プレッシャーを肩に載せました。と言うことによって、「ぐっ」とした気持ちを抑えました。明日は卒業式・修了式です。寂しいな~