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2006-09-07

[]胸に手を当てて 08:22 胸に手を当てて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 胸に手を当てて - 西川純のメモ 胸に手を当てて - 西川純のメモ のブックマークコメント


 人間、自分が忙しいと、他の人が見えなくなります。かなり以前、Kanさんの授業実践のビデオを見させて頂きました。その中で、「一人を見捨てる集団は、次の一人も、その次の一人を見捨てる集団になる。次は、あなたが見捨てられる番になるかも知れません。」とありました。見捨てられなくても、その様な集団では、高い達成度は絶対に成り立ちません。我々は、子どもたちに、クラス全員が分かることを求めます。私も皆さんに求めます。

 教師はクラス集団に繋がるべきで、子ども個人に繋がるべきではないと我々は主張します。従って、問題のある子がいた場合、その子に対応すべきは、教師ではなく、子どもだと主張します。そのため私は、色々な方から、「子どもたちが、その子を見捨てたらどうしますか?」と聞かれます。私は、「子ども集団が最善を尽くして、それでも見捨てたとしたら、しょうがありません。教師があがいても、子ども集団以上のことは出来ません。仮に、あがけば、その子は救えることは出来ても、その他の子どもに問題が生じます。でも、教師の力なんてたかがしれています。大抵の場合は、その子も救えず、その他の子どもに問題が生じるという結果になります。」と語ります。次に、「子どもたちが最善を尽くしたか、尽くしていないかはどこで判断するんですか?」と聞かれます。私は、「その子が見捨てられた状態が確定されたとき、それが分かります。もし、集団が最善を尽くしたと納得していたら、その集団は集団として維持されます。しかし、もし、最善を尽くさず見捨てたならば、見捨てられ た状態が確定されたとき、その集団は崩壊します。何故なら、次に見捨てられるのは自分ではないか、と疑心暗鬼が生じるからです。」と語ります。

 私は、定時制高校クラスの半数を「退学」させました。個人的には可愛いし、彼らの置かれた事情を知れば同情します。しかし、教師は評価者で「も」あらねばなりません。それ故、断腸の思いで退学させました。私が今教えている皆さんの中に、私が定時制高校で退学させた子どもたち以上に、同情すべき状況があったとは断じて思いません。

 私は集団を見捨てません。でも、個々人のメンバーを見捨てるか否かを決めるのは、私ではなく皆さんです。これから年度の後半になるにつれ、前半のツケが各人に重くのしかかるはずです。一人一人が、自分のこととして、 胸に手を当てて下さい。