■ [報告]今日
兵庫教育大学の集中講義を終えました。最後に「『学び合い』を信じられない点はどこか?」という課題レポートを与えました。様々なご意見をいただけると思い、楽しみにしています。
このテーマは、実は上越教育大学の試験でも課したものです。様々なご指摘をいただきます。確かに説明不足だったな~っと反省することは多いです。しかし、「○○出来るのだろうか?」という質問に対して、いつも思うのですが、「じゃあ、今、それ出来ているの?」と思います。我々には『学び合い』に関する膨大なデータがあります。しかし、同時に、一般の授業のデータもあります。それを分析すれば、一般の授業中の子どもはどのように行動しているかが現れています。そして、それは悲惨の一言です。それに満足しているのは、授業者ぐらいでしょう。が、教師の仁義で、それは出せません。それにしても、多くの教師は、何故、自分のクラスの子どもたちの死んだ目に気づかないのだろうか・・・と思います。