■ [う~ん]円生の鰍沢

最近、落語の大ネタの鰍沢を円生で聞きました。聞いてみると、どうしても納得できないことがあります。
鰍沢の話はこうです。亭主の留守に、旅人が一夜の宿を奥さんに頼んだ。急に泊まった旅人の金品を奪うため、奥さんは亭主のために買ってあった酒に毒薬を飲ませて寝かせた。そのため亭主の酒が無くなったために、奥さんは酒を買いに家を出た。その留守中に亭主が帰り、飲み残しの毒薬入りの酒を飲んでしまう。それから緊迫感のある話が展開するのです。
これが変です。だって、人殺しをしようとしている最中に、家を留守にするということあるでしょうか?あまつさえ、その理由が亭主の晩酌を買いに行くためなのです。人を殺せば、その死体処理だって大変です。留守中に誰か来たらどうするつもりなのでしょう。多くの話し手は薪をとりに行ったという展開をとります。これなら分かります。薪がなければ凍え死にます。また、家の裏にある薪を取りに行くならば、留守はごくごく短時間です。そうであるならば、人殺しの途中でも家を留守にすることも納得できます。
円生の落語は時代考証がしっかりして、緻密です。その円生が何故、馬鹿げた展開にしたのか、謎です。
■ [大事なこと]点が線に、そして面への前兆

Kさんのブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/F-Katagiri/20080517)に息子さんのサッカースクールでいっしょのお母さんが「学び合う国語」を読んでいた、という記事がありました。最近、そのお母さんからメールをいただきました。そのお母さんは学校の先生ですが、その旦那さんも学校の先生で、その旦那さんから『学び合い』を知ったそうです。その旦那さんは数年前に新潟県の研修団体での講演でお世話いただいた先生です。そして、その後、勤務学校に呼んでいただきました。それをきっかけに、その学校の先生方から『学び合い』のバリバリの実践者が生まれました。その一人が異動されました。その方のお誘いで、別の学校に講演に行きます。
日本全国には『学び合い』の同志がおられます。今までは、比較的単純なネットワークだったと思います。具体的は、同志が『学び合い』との出会いを調べると、「誰々さんの紹介」とか「○○の本をきっかけにして」とか、「これ」と特定できます。しかし、最近は、独立した経路で出会いがぶつかると言うことが起こり始めています。これは、点が線になり、そして、今、線が面になる前兆のように感じます。
同志各位へのお願いです。一人一人が積極的に情報発信をしてください。お、ね、が、い。もし、一人がどのような形にせよ積極的に情報発信をしてくれれば、普通の教師の数十倍、いや、百倍の情報発信をします。つまり、現在の同志の人数が、あたかも百倍になったと同じ効果を生じます。何度も書いていますように、集団の2割が革新者(確信者)となれば集団は代わります。旧態依然で、万古不易と思われるような教育が変わるかもしれません。
私は人付き合いが壊滅的に不得意で、『学び合い』が不得意な、極めて希なホモサピエンスです。よろしくお願いいたします。