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2009-05-20

[]研究授業 07:01 研究授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究授業 - 西川純のメモ 研究授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の研究授業の様子を、ちょいと紹介します。

 本日の課題は、割り算の計算です。前時では、二桁の数を一桁の数で割る仕組みを、図や言葉で理解するというところまで終わりました。本字は、それを筆算でやる方法を学ぶところです。

 事前の授業検討では、最初は一つの割り算を全員が出来ること、そして、「自分」が分かった説明を書けることが「みんな」出来る、という課題としていました。しかし、これでは時間が余ってしまうのではないかと授業者が危惧されました。そこで議論の結果、問題を3問にして、そして「みんな」が分かる説明を書けることが「みんな」出来る、という課題としました。

 いずれにせよ、従来の授業をやっている方だったら、想像も出来ない課題です。だって、割り算の筆算のやり方を教えてない子どもに、計算して、それを説明せよという課題です。最後に授業者にアドバイスしたのは、「子どもたちに、中川小学校を変えるのは君たちだ、沖縄を変えるのは君たちだ、と檄を飛ばして下さい」と「スマイル、ニコニコしましょうね」です。

 授業開始です。学年1クラスの人口一万余の町の学校の、二十数人の子どもたちを百人の先生方が参観するのです。筑波大学附属小学校の子どもはいざ知らず、おそらく子どもたちにとっては生まれて初めての状況です。その中で授業者の先生は最初に課題を語ります。丁寧に説明しているので約8分ぐらいかかりました。私の感想では、ちょっと丁寧かなと思いました。授業開始です。緊張のせいか、子どもたちの動きは悪いです。まあ、当たり前です。だって、一度も割り算の筆算の仕方を教えられていないクラスで、割り算を筆算しろという課題なのですから。しかし、まあ十分程度で動くだろうと思いましたが、その通りでした。

 子どもたちが動き出して20分ぐらい(つまり授業開始30分ぐらい)たつと、「説明」説明する子どもたちがかなり増えました。

 廊下にあふれかえる先生方の顔を見ると、「????????」という様子が見られます。会話を聞くと「この子たち、筆算の仕方を教えられていないの?」とか、「これじゃ学級崩壊しちゃんじゃないの?」という声も聞こえます。授業が押し詰まってくると「この様子だと、まとめしないんじゃない」という声が聞こえます。

 そして、授業を終了しました。残念ながら全員達成は出来ず、子どもたちから「あと十分やらせて」という声が聞こえました。

 授業後は授業者がひどく落ち込んでいると教頭先生から聞きびっくりです。話してみると、全員達成が出来なかったからということでした。そこで語りました。まず、今回の課題はメチャクチャ難しい課題です。筆算の仕方を教えてないクラスに、筆算をさせて、はては、「みんな」に分かる説明をせよという課題です。ですので、『学び合い』の初期段階(中期段階かもと思える子どもたちです)の子どもが出来るわけありません。結局、「みんなできた~?」と教師の視点でクラスを考える子どもが数人(クラスの1、2割)以上現れるまでは絶対に無理です。もちろん、今の段階の子どもたちであっても、あと十分あれば出来たと思います。そのために問題数を1問程度にして、最初の課題定時を2分程度に短縮すれば出来たと思います。でも、出来なかったのは意味があったと思います。つまり、出来ないという現実を子どもたちに提示し、それを乗り越えろと求めるのです。それが先に述べた教師の視点で考えられる子どもの出現を促せるのです。1時間の課題の達成よりも、クラス創りが大事であることを説明しました。そして素晴らしい授業であったと評価しました。

 授業参観者の評価が高かったと思います。しかし、やはり同じ授業を見ても二通りの反応があります。『学び合い』を疑問にもたれる方の場合は、課題達成が出来なかったこと、落ち着きのないクラスであることに着目します。でも、私としては「じゃあ、あなたの授業で、今回のクラス以上に筆算の仕方を理解させることが出来るの?」と聞きたいと思います。まあ、最後まで説明することは出来るでしょう。でも、教師が説明することと、子どもが理解したということは別のことです。

 でも、『学び合い』をやってみたい、と思われる先生の場合は違った視点でみます。つまり、筆算の仕方を一度も教えたことがないクラスで、あれだけ達成されたことにビックリされます。また、授業中、課題から離れる子どもはおらず、1校時、ずっと全員が集中している子どもにビックリされます。そして、楽しそうに算数を学習し、全員が出来ないと、「あと十分やらせて」と懇願する子どもの姿にビックリします。

 最後に、その授業者の先生に私は求めました。授業に関する教師のアンケート結果を、加工せずに子どもたちに見せて欲しいと願いました。良い評価も、悪い評価も、子どもたちは受け止めて、いっそう奮起するはずです。そして、それが授業を見せてくれた子どもたちに対する、当然の「礼儀」だと思うからです。

[]特別支援 07:01 特別支援 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特別支援 - 西川純のメモ 特別支援 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、ある方から「うちの学校には特別支援の必要な子が多いのですが、『学び合い』は出来ますでしょうか?」と聞かれました。私はいつも通りのことを言いました。なお、これは他のどんな質問に対しても基本的には同じです。

 まず、「では、現状で教えられるのでしょうか?」と聞くと、首を振ります。

 次に、「そうであれば、きっと教師はイライラしているでしょうね。座りなさい、静かにしなさいと怒鳴りまくっていたり、自分を責めていたり。でも、イライラしている教師、落ち込んでいる教師に良い授業が出来るでしょうか?」と聞くと、首を振ります。

 次に「ですよね。だから教師一人が背負うのではなく、クラスみんなで背負う方が良いですよね?」と聞くと、うなずかれます。

 最後に、「だから、クラスみんなが背負うクラスを創るのが『学び合い』です。実は、特別支援の子どもも絶対に切らないクラスをつくれば、次に自分が切られるのではないか?と思っている子どもたち、これって少なくないですよ、が安心できるクラスを創れます。そして、最終的には全員にメリットがあり、それを全員が理解できるクラスが創れます。」と申し上げると、うなずかれます。

 そこで、「詳しくは、気になる子の指導に悩むあなたへ、という本に書いています」とにこっと笑いました。

追伸 ごくまれですが、「では、現状で教えられるのでしょうか?」という私の質問に、「はい、私は全員を教えることが出来ます」とおっしゃる人がいます。その人も不幸ですが、その人のクラスの子どもがもっと不幸です。