■ [お誘い]スカイプ
以前、お誘いしましたが、スカイプで繋がりませんか?スカイプというのは、家電量販店で買える1万円以下の機器を用意すれば簡単に実現できるテレビ電話です。ただし、コンピュータは増設メモリーをつけていない場合は、画面が固まってしまうというエラーが起こるようです(経験上)。
メールのやりとりでも良いのですが、直に顔を合わせて話すと良いですよ。ただし、家庭サービスがあるので、私の勤務時間内とさせて下さい。となると、学校におられるときに繋ぐということです。しかし、地域によってはセキュリティの関係で繋げないということがあるかもしれません。でも、地域のセキュリティ担当の方に事情を話してみてはいかがでしょうか?また、奥の手としては、通信があります。
私は出張用にUSBタイプの通信を使っています(http://emobile.jp/products/)。最近試してみましたが、これを使えばテレビ電話が可能でした。ただし、これはそれなりに高額です。
でも、セキュリティに厳しくないところだったら本当に簡単に実現できます。教室にランケーブルの端子があるならば、授業を見せてもらい、放課後に議論する、ということも出来ます。
私としても出張しなくてもサポートできるのでありがたいです。ということで、これには「出張に関するガイドライン」は適用されませんので、ご安心下さい。
■ [大事なこと]力量
教師の力量を一言で言えば、自身が目標と信じていることを、相手に信じさせる能力だと思います。そして、その信じさせた目標が、抽象的であるほど力量が高いと言えます。
各教科には独特の目標があります。例えば、「科学的概念の形成」であり、「自然を愛護する心」です。それよりかなり具体化すると、「ニュートン力学の大系で運動をシンプルに記述できることを理解し、その美しさを感じられる」というものも考えるかもしれません。それよりかなり具体化すると、「運動方程式で質点の運動を記述できる」となります。ずっと、ず~っと具体化すると「100mの距離を初速度0m/sで加速度2m/s2の物体が100mの距離に到達するのは何秒かという問題を解ける」となります。
私は、「科学的概念の形成」が大事だと多くの日本人に信じさせる自信はありません。ましてや「100mの距離を初速度0m/sで加速度2m/s2の物体が100mの距離に到達するのは何秒かという問題を解ける」が大事だと多くの日本人に信じさせる自信はありません。ところが、それを勉強させるのが私の仕事でした。結局、面白実験、話術、個人的な繋がりという大技小技をとりまぜて乗り越えました(正確には乗り越えようとしました)。でも、最後まで私が教えているものが価値あるものだと伝えることは出来ませんでした。それが私のトラウマであり、『学び合い』の出発点です。
他教科もそうでしょう。「深い読み」、「社会認識の形成」・・・みな同じです。結局、ぎりぎりまで考えて、『学び合い』の学校観にたどり着きました。世の中には、私と違って、学校観のみならず教科の内容レベルの価値を信じさせる力量のある方もおられます。確かにいます。でも、全ての教師がその教師のレベルになれるとは、絶対に思えません。圧倒的大多数は、一生かかってもそのレベルにはなれないと思います。だから、学校観レベルに限って、私は論を進めます。
今現在、日本各地に「『学び合い』で日本を変える」ということをリアルに信じ、そのための行動をしている人が、内輪に数えても百人以上はいます。でも、それらの人は、私が伝えたからそうなった人ではありません。もともとそれを持っていた人で、『学び合い』がぴったりと枠組みを与えた人です。私の教師人生は25年です。『学び合い』にシフトしてからだと十数年です。その中で、教え子でそのレベルに達せたと確信できる人は片手もいません。本当は、それを信じられると、自分の力が何倍にもなり、個人にとっても有利であるのにも関わらず、それを信じられないのです。なんと力量のない教師だと慚愧します。しかし、まだ私には15年間があります。巣立った教え子、これからの教え子に伝えたいと思います。
■ [大事なこと]時間が足りない
最近、立て続けに「『学び合い』をやると時間が足りなくなる」という質問を受けました。あれ、手引き書に書いているのに、と思いましたが、実は書いていないことに気付きました。メモには書いていたので、手引き書に書いたつもりになっていました。そこで補足しました。以下の、後半部分です。
『 『学び合い』は時間がかかるという誤解があります。いつもの授業をやりつつ、『学び合い』をやろうとしたならば、平常より時間がかかるのは当然です。しかし、我々の『学び合い』では、平常の部分がカットされています。具体的には、教師が長々と説明し、板書する部分はありません。殆どの時間は、子どもたちが自主的に活動している時間です。
今までの実践研究の結果を総合すると、学び合うことによって平常より時間がかかるということは皆無です。最低でも3分の2の時間で同じレベルの達成度が実現できます。そして、半分以下の時間で実現することができます。
子どもたちに自由に活動させると、様々な班がいることに気づきます。計画の段階をじっくり考えて時間をかけるが、実際に活動し始めるとトントンと進む班があります。一方、計画の段階では殆ど時間を取らず、とりあえず活動する班があります。そのような班は、実際に活動し始めてから試行錯誤を繰り返すので時間がかかります。
一斉学習では、全ての班の進行を同調させようとします。その同調のさせ方は、一番遅い班にあわせることになります。即ち、最初に時間をかける班にあわせ、さらに、活動を始めてから時間をかける班にあわせることになります。結果として、各段階の一番遅い班の積算となるため、時間がかかります。ところが、子どもたちの班を観察すると、全体として帳尻があうため、そのようなロスが生じません。そのため、『学び合い』においては、教師主導より遙かに効率よく進むことができます。
『学び合い』で時間がかかるとしたら、それは教師がダラダラとやらせているときです。ある課題を「みんな」で出来ることを課題として与えます。ところが初期段階では「みんな」達成することが出来ません。そこで、「もう1時間」を教師が与えてしまいます。そんなことが続けば、どんどんと長くなります。
もし、「みんな」が達成できなくとも、次に進むのです。そして、「何故、全員が達成できなかったのだろうか?それをふまえて、次は全員達成をするには何をしたらいいか考えて欲しい。次を期待しているよ」と説教をしてください。1時間中に全員が達成するという課題は、子どもの課題です。教師の課題ではありません。その尻ぬぐいを教師をやり続けていれば、子どもが1時間中に全員が達成するという課題が甘くなります。だからガツンと切って前に進んでください。
と、書きますと、「え!?そんなことで良いんですか?だって、分からないままの子どもがいるのに・・・」と言われる方も多いでしょう。しかし、考えてください。それでは今までの授業で、全員が本当に分かってから前に進んでいましたか?違うと思います。クラスの中で分からない子がいることを承知で前に進んでいたはずです。『学び合い』では一人一人の子どもがよく見えるだけです。つまり、ガツンと切って前に進んだとしても実害はありません。
では、そのようにしてガツンと切って前に進むとどのようなことが起こるでしょうか?第一に、一人一人の子どもが時間を意識した行動をするようになります。もちろん、そのような行動が出来ないような子どもも1、2割いることは承知しています。しかし、一方、周りの子どもが時間を意識した行動が出来るかを見回ってチェックできるだけのことが出来そうな子ども「も」1、2割いることは承知しているのではないでしょうか?その1、2割の子どもが、そのような行動をすれば問題は解決します。例えば、あることにこだわっている子どもに対して「あと10分だよ、もうそろそろ、こっちの問題も解かなきゃ」という声がけをするのです。また、その課題を見て、「あ、これだったら私だったら15分で出来るな」と見当をつければ、教師が「はい、どうぞ」と行った瞬間に、一番、手のかかる子どもを自分の席の横に座らせて、教えながら自分も解くという行動をします。即ち、戦略的に行動をするのです。
こんな事例がありました。5年生まで九九が出来ない子どもがいました。5年から『学び合い』を経験しました。上記のようなことがおこり、徐々に、クラスの中に入って勉強をするようになりました。そして、「みんなが出来る」という課題を達成したいと思うようになり、そのためには自分が出来なければならないことを感じるようになりました。そんなときです。クラスメートの一人が「○○ちゃん、九九覚えた方が良いよ」と言いました。それから一週間で九九を覚えるようになりました。その場、その場で、やいの、やいのと言うよりも、本人が学ぼうとする気になる集団を創れば、帳尻は合うものです。少なくとも、それしか解決の道はありません。』