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2009-07-11

[]伝えにくいところ 22:19 伝えにくいところ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 伝えにくいところ - 西川純のメモ 伝えにくいところ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの人にとって、『学び合い』とは「教師が教えない授業方法」と理解しているでしょう。それより分かっている人は、「教師が学習内容、学習方法を直接教える変わりに、子ども達が学習内容を学ぶ方法を自らで学ぶために、教師が様々なことをする授業方法」と捉えているでしょう。でもね、本当に大事なのは考え方です。上記のレベルでは、色々なことがあると、直ぐにぶれる。でも、考え方が分かれば、失敗しても、問題が起こっても、ぶれなくなります。でも、しょうがありません。形から入り、色々なことを経験して、考え方が理解できるのですから。

学校観

 人格の完成とは、多様な人と折り合いをつけて、自らの課題を解決できることである、ということが伝えられません。

 人格の完成が何か、それが分かっていないと、心の成長と学力の保証を対立的に考えてしまいます。代表的な誤解は

 学活・部活で人生を語ることによって、授業でガンガンに教え込みをすることの免罪符としている。

 学力というものを明確に子どもや保護者に伝えられないにも関わらず、テストの点数を上げることを卑しいことと考える。

子ども観

 多様な子ども達は有能であるということが伝えられません。多様な子ども集団という考えが出来ません。目立った「その子」に心が奪われたり、金太郎飴のような一律の子どものように捉えたりします。いずれも集団として捉えられません。

 例えば、荒れた学級では『学び合い』は出来ない、とよく言われます。では、荒れた学級では、子ども達みんなは「荒れて」いるのでしょうか?たしかに荒れている子どももいるでしょう。でも、「この荒れた状態が続けばマズイよな」と気づける子はいますし、気づいている子はいます。そして、何とかしなければならないと積極的に考えている子どもはいます。その子どもの多様性に気づけない。そして、集団として動かせれば、凄いことが出来ることを知らない。そして、集団の最底辺に心を奪われる。だから、子どもは無能だと思ってします。でも、子ども「達」は有能なのです。

授業観

 授業とは、指導要領に規定された目的を達成するために行うことです。この当たり前のことを伝えられない。

まず、「本時の目標は?」と聞かれて、ちゃんと応えられる教師がどれだけいるでしょう。もちろん、指導主事訪問の時は指導案に書きます。でも、あんなご大層なことを毎日出来るわけありません。大抵は、あまり考えません。まあ、「数理的な思考」とか「深い読み」とか訳の分からんレベルでOKにしていると思います。私の採用1年目は、「教科書に書いているようなことを用いて、授業の体裁を整える」という、もの凄く恥ずかしいレベルが本時の目標でした。

 そして、それを曖昧にしていると、評価が甘くなります。そして、目標を達成することが目的ではなく、自分が何をやったかが重要になります。例えばです。初詣の際、お賽銭をいっぱい入れると御利益があるように思いますね。でも、本当ですか?そうだと思える根拠を言えますか?何となく、自分なりの努力をすれば、それなりの御利益がある、と思っていませんか?じゃあ、何故、どうやったら御利益があるか、それを真面目に調べようとしないのでしょうか?そりゃ、その程度の御利益であると評価しているからです。本気で株でもうけようと思う人は、それなりに株の勉強をします。

 もちろん、一生懸命に勉強している教師は少なくありません。でも、それが本当に役に立ったか、それを評価しているでしょうか?評価していれば、気付くはずです。子ども達の中には、自分が何もしなくてもそれを達成するであろう子がいることを。そして、自分ではどうしようもない子どもがいることを。そして、両者の子どもがクラスの多くを占めることを。本気で株でもうけようとしている人は、自分が損していることにも気付くし、損切りしているはずです。