■ [大事なこと]孤独
研究者は最先端を走ってなんぼです。そして、多くの研究者は研究者を相手にすればいい。つまり、最先端を走ってなんぼの人相手に納得させればいいのです。アインシュタインは特殊相対性理論を発表したとき、「この理論を理解できる人は世界に十人ぐらいだろう」と言われました。レトリックだと思いますが、象徴的だと思います。つまり、それなりの十人の人に理解してもらえればOKなのです。
ところが難儀なことに、分かってもらえないと言うことが辛いのです。理解されないことはよく分かっています。分かってくれない方が、常識人であることも十分分かっています。ただ、分かってもらえないという経験を積み上げると、自分の殻に閉じこもりたくなります。
私の言っていること、それはイノベーターとアーリーアダプターにしか分からないことを言っています。でも、心の中では、アーリーマジョリティ・レイトマジョリティの中にいることが心地良い。今から、5年も経てば、今、イノベーターが理解していることをアーリーアダプターが理解し、今、アーリーアダプターが理解していることをマジョリティが理解するであろう事は予想できます。今までの人生、常にそうでした。でも、その頃、私は5年前のイノベーター・アーリーアダプターも過激と思うようなことを主張しています。結果として、常に少数派なのです。私がかつて一生懸命になっていたことをやっている人から否定されるのが辛い。
進歩を止めれば、5年後・10年後は、マジョリティが「それがいい」と言ってくれることを私は主張することになります。それは居心地が良いに決まっています。大抵の研究者は年齢が進めば愚かになります。だから、そうなります。が、幸か不幸か(本当にそれを悩み始めています)、『学び合い』をやっている結果、常に最先端が「見える」のです。
現在、見える最先端は、ある町レベルでの協働です。おそらく、この2、3年で姿が見えるでしょう。そのように最善を尽くします。で、多くの人と関わる研究は終わって、高校時代に読んだ「知的生活の方法」の研究生活にシフトしたいと思い始めています。つまり、文献を元に何を学ぶべきかということを内容レベルで突き詰めるのです。そうすれば、退職ぐらいに時代が追いついてくれるのでは、と思うのです。でも、2、3年後には形になるであろう、町レベルでの協働の姿が見える頃には、その先が見えてします。それが恐ろしい。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20030803/1172973326
本日は飲み過ぎたので、オッサンの不遜な戯言です。