■ [大事なこと]トライして下さい
私は同志の方々が積極的に本を出して欲しいと願っています。それを実現するにはどうしたらいいか考えています。
現在、『学び合い』を知らない、もしくは誤解している方に理解してもらうには、色々な入り口があるべきなのです。学習者は多様であり、一人一人の理解の仕方が違います。従って、最善の教え手は一人の教師ではなく、子ども達です。私のように『学び合い』に二十年弱、どっぷりと浸かっていると初心者の気持ちが分からなくなります。さらに人の相性は不思議なものです。だから、私と違った人が、多様に入り口を用意して欲しいのです。その中には、「西川純の『学び合い』ステップアップの方法は一人も見捨てない教育を実現するには良い方法ではない」というものもあるべきなのです。(ま、私の著作ではなく、私自身の人格否定をされると悲しいですが・・・)
実現するには困難があります。同志の方は基本的に頑固なのです。でなければ今の状態で『学び合い』を続けられるわけはありません。しかし、出版社から本を出すには自分の本当の願い、思いを、「世に受け入れやすいように」本にしなければなりません。しかし、頑固な人はそれが出来ない。これが悩みなのです。これは現在書店で流通している99%以上の現在の価値観を再生産する本と根本的な違いです。
逆に状況は変わっている部分もあります。全国の同志のおかげで、『学び合い』の認知度は高まっています。少なくとも、“学び合い”に興味ある人だったら『学び合い』の存在を知っているはずです。そして、よく知っている人だったら、学びの共同体、協働学習と比肩する存在であることは、『学び合い』に反感を持つ人も認めていると思います。さらに学陽書房から出た一連の本によって、『学び合い』は商業的に成り立つ可能生成があると判断する出版社は格段に増えています。
実は本を書きたいという方はかなりの数になっていると思います。そして、それはもっと増えて欲しい。その同志の方々に最初に問いたいのは、出版社の編集者から「売れる本にするためにこうしたほうがよい」と言われる提案を受け入れる覚悟があるか?ということです。
「いや、売れる本にするために、自分の文章を変えることは出来ない」という方もいるでしょう。その頑固さを大事にして下さい。しかし、今の状況では商業的には成り立たないでしょう。その場合は自作本という手段もあります(例えばhttp://p.tl/i4Yz)。その本の中に”『学び合い』”と明確に表記していれば、私が首をかしげる内容で仮にあったとしても、私はその本を宣伝します。(私は私の考えに自信があり、頑固ですが、一人も見捨てない教育を実現しようと願っている人だったら、自分と違っていても同志だと思っています)それによって、既に『学び合い』の同志になっている方々には有効な本となります。そして時代が来たら、商業的にもペイするはずです。そうなったときに出版社に売り込めば良い。
さて、ときには厳しいと思われる編集者の提案を受け入れたり、文章を変えたりする覚悟があるという方へ。ありがとうございます。一分、一秒でも短く、全国で地獄の苦しみを味わっている子どもや教師を救うには、そうせざるを得ません。我々は頑固です。そして『学び合い』で物事を考えるようになってしまっています。そうなると、どの部分が多くの人に受け入れやすく、どの部分が受け入れにくいかが分かりません。それを分かるためには、優れた出版社の編集者に出会う必要があります。その編集者と折り合いを付けながら、本を作るしかないのです。
さて、編集者と折り合いをつける覚悟がある方々に問いたいのは、絶対に本を出したいか?ということです。
今、書店で並んでいる本の多くは、皆さんと同じ小中高の先生方が書かれた本です。それも、皆さんより若い方もおられるでしょう。少なくとも、その方々が最初に本を書かれた年齢はみなさんより若い場合は少なくないと思います。
さて、皆さんと同じ小中高の先生で、皆さんよりも若いときに本を出せたのはなぜでしょう?理由は、絶対に本を出したいと願ったからです。そのような方々は、様々な機会に自分の実践、自分の存在を情報発信した方々です。「本を出したいな~」と思っているだけではなく、具体的に行動した人たちなのです。例えば、私のところに「本を出したいのですが」と相談されることもあります。その場合、商業的になりたつためにはどれほど大変かを語ります。しかし、その後、何度も私に食らいついて「本を出すためにはどうしたらいいか」を求め続けた方は今まで一人もいません。でも、そういう人が必要なのです。
では本の出し方のノウハウをお教えしましょう。分かってしまえば、馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことです。
どの社会でも同じですが、編集者の世界でも圧倒的大多数の編集者は凡庸です。そのような編集者は自らの頭で商業的に成り立つか否かを判断しません。著者の肩書きや、各種の指標によって売れるか売れないかを判断します。そのような人に売り込んでも、原稿をまともに読まずに拒否するでしょう。
どの社会でも同じですが、編集者の世界にも能力のある人はいます。そのような編集者は自分の足と手と目と頭を使って商業的に成り立つか否かを判断します。そういう人は山師と同じです。色々な教師の研修会に顔を出し、ネットで検索しながら、金鉱を探します。そして、これはという人と話します。もしあなたが色々なところに出向いて、積極的に情報発信しているのであれば、そういう人が誰かを知っているはずです。
ネットでの情報発信は大事です。この本の読者層は必ずしもネット住民ではないと言うことです。面白いデータがあります。出版社は紀伊國屋書店の売り上げを売れるかどうかの判断基準としています。ところが、こと『学び合い』の本は一般の本と傾向が違うのです。どう違うかと言えば、アマゾン等のネット書店の利用者の割合が非常に高く、紀伊國屋書店の売り上げでは正確に把握しきれないという傾向があるのです。もし、現状の『学び合い』のユーザーを対象とした本であるならばネットでの情報発信でも商業的にペイするかも知れません。しかし、その場合はフォロアーが数千人で、カウンターが毎日数千上がるような人だけのことです。現状で、それを成り立たせている人は私以外にないと思います。従って、現状ではネットではなく物理的に動くことが必要です。それとあいまっているならばネットでの情報発信は有効です。
次にするのは、本の企画書です。要は本のコンセプトです。書きたいと思う本の特徴は何で、どのような読者層を想定しているかというものです。自分の考えたコンセプトは最低でも3人ぐらいほかの教師にも意見を聞いてみて、売れそうかどうかを考えてブラッシュアップしましょう。編集者は忙しいので、短い時間で読めるものを作成しましょう。そして、上記で出会い名刺をもらった編集社に送りましょう。もしくは、編集者とは出会わなかった人は、「学陽書房「『学び合い』スタートブック」編集者様」のように自分がこういう本を作りたいなと思う本を出版した編集者に企画書を送りましょう。あなたが足を使って、情報発信しているならば、あなたの存在を頭の隅に留めているはずです。
もし断られても、それはあなたが悪いわけでも、編集者が悪いわけでもありません。別な出版社にトライして下さい。同時に、よりいっそう足を使った情報発信をして、あなたを個人的に認めてくれる編集者に出会いましょう。
世の中には「本を出したいな~」と思う人は少なくありません。しかし、その多くはそれを実現できません。その理由は、多くの人は「本を出したいな~」と思うだけだからです。本屋ならぶ本の著者は、何らかのコネがあるわけでも、金があるわけでもありません。その人達は本当に本を出したいと願い、実際に行動したのです。それも、断られても、断られても、何度も捲土重来しながらアタックし続けたのです。
願いは叶います。ただ、本気で願う人は少ない。なぜなら、その願いは何のための願いかを真剣に問わないからです。真剣に問い、願って下さい。今、『学び合い』を知ってもらう様々な入り口が必要なのです。それが一人も見捨てられない教育と社会を一分一秒でも早く実現できる道ですから。
■ [大事なこと]時代が追いついてきた
私は日本全国に講演会に呼ばれますが、平成18年、19年に呼ばれた学校の特徴は学力向上フロンティアを終えた学校が多かったように思います。何故でしょう。
今もそうですが、教師がしっかり教えれば子どもは分かるという単純で素人的な仮説が一般的です(ちなみに認知心理学的に言えば明らかな誤りです)。それを実験的に進めたのは学力向上フロンティア事業です。学力向上フロンティア事業、そのもの、また背景となった答申では習熟度別少人数学習はあくまでも一つの方法として例示されているのにも関わらず、それが学校現場に至るまでに、唯一絶対の方法になってしましました。
そして、多くの先生が習熟度別や少人数は回答とならないことを知ってしまったのです。多くの先生方は唯一と思っていた出口が有効では無いことをしり呆然となったでしょう。しかし、先進的な教師は「教師がしっかり教えれば子どもは分かる」という誤った仮説を捨て始めたのです。そして『学び合い』に注目するようになりました。
初等教育資料という雑誌をご存じでしょうか?今月号の特集は「ともに学び、高め合う授業づくり」です。そして引用文献の中に我々の研究も含まれていました。全体的に見れば、「教師がしっかり教えれば子どもは分かる」の残滓を残した”学び合い”が大部分です。しかし、文部科学省が編集する雑誌にこのような特集が組まれたこと自体に大きな意味があると思います。
振り向けば、時代は見えるぐらいに近づいたように思います。一読をお勧めします。