■ [う~ん]さもありなん
1年以上前のことです。ある問題が起こった地域の全ての学校に手紙を書きました。そして、本を同封しました。そして、一つの学校からも返事はありませんでした。さもありなんと理解しました。新興宗教のような『学び合い』に対して、受容出来る人と学校は少ない。でも、「資料をお送り頂き、有り難うございました。」の型どおりの短い返信が何故送れないのかと思います。
私は献本を頂いた場合は、短くも御礼を送ることを欠かしたことはありません。全ての人がそれを出来るわけでは無いことは分かっています。しかし、その地域の小中、公立、私立の全ての学校の一つの学校の例外もないことを知り、その地域で問題が起こったのはシステム上の問題だと理解しました。
■ [う~ん]察する
今、特別支援学級に入るように勧められた保護者からの相談メールを頂いた。もうそれだけで、頭はぐるんぐるんしてします。察するにあまりある。我が子の分岐点に立ち、考えなければならない人からのメール。最善の応えは知っている。でも、それを提供できない自分がいる。
■ [大事なこと]花伝書
世阿弥の花伝書を何度読み返しただろう。最初は十代だった。読めば読むほど、奥が深い。十代では分からないことが、二十代で分かり、三十代でわかり、四十代で分かる。そして、五十代で分かることもある。その年代で延びる道は何か、自分が伝えたいことを分からぬ世間との折り合いをつけるには何が必要なのか?色々と手がかりがある。
でも、年を取れば取るほど、「老木の花」です。自分にとっての老木の花とは何だろうと思います。それを間違えば、醜い老後があります。なんだろうか?研究、本、講演、学生指導・・と考える。おそらく、私が答えを出さぬとも、周りの人が答えを出すだろう。私が大事にすべきは、それぞれで私なりに全力を尽くす。そして、周りの評価が低くても卑屈にならない。そして、一定のレベルを超えれば退却すればいい。
幸い、年を取ると、退却しても大丈夫なだけの貯金がありますから。